アメリカ大学へ留学していたときの体験談です。
「差別」なんて言葉を見たら、これからアメリカの大学留学を考えていたり、控えている方はショックですよね。
アメリカ留学自体が不安になっちゃいます。
でも、この体験談は、差別に打ち負かされ、失敗した話ではありません。
「日本人である」というだけでされた、差別的な発言。
そんな負のエネルギー、大きな壁のように立ちはだかるアメリカ大学教授に立ち向かったスッキリするお話です。
アメリカ留学生活も早2年目。
1学期は4カ月単位で進んでいくアメリカの大学。
すでに8カ月をアメリカ大学で過ごした、留学2年目。
私の専攻の必修科目には、「前学期にこの科目をパスしたら、次学期にこの科目を取っていいですよ」というものがたくさんありました。
今学期にとるAという必修科目。
来学期にA2という科目をとるためには、絶対にパスしなければなりません。
Aは今学期にしか取れないため、パスできないと卒業がのびてしまいます。
アメリカ留学は費用がものすごくかかります。
卒業がのびたら、どれだけ余分なコストがかかるか私自身よく知っていました。
「絶対に落とせない科目!絶対にパスする!」
そんないつも通りの意気込みで、Aのクラス初日に向かいました。
25人くらいの小さなクラス。
白人だらけの中、アジア人の私は目立ちます。
小柄でサンタクロースのようなポッコリお腹。
60代前半くらいの白人の男性教授。
「このクラスでは新聞用のニュースレポートを書く」
教授はつづけ「人名や地名の綴りミスがあるレポートは0点」
「0点を4回とった時点で、このクラスを放棄してもらう」
はっ?!
教授は冷めた口調で淡々とつづけ「質問は?」
正直質問をしたかったのですが、どの質問の答えも「YES」なのは分かっていました。
「0点を4回とったらクラスを放棄って、このクラス3単位分のお金も返ってこないってこと?!」
「今学期しか取れないこのAクラスを落としたら、次学期にA2が取れない…ということは卒業が1年ものびるってこと?!」
学期の途中でクラスに在籍さえできなくなる…
そんなクラスは聞いたことがなく、なんて厳しいクラスなんだと思いました。
でも「人名と地名のつづりミスをしなければいいだけの話」
なんとかなる。
そう思いつつも不安だった私は、オフィスアワーに教授を訪ねることにしました。
「オフィスアワー」というのは、アメリカ大学教授が大学敷地内のオフィスにいる時間のこと。
生徒たちはこの時間を利用し、教授に質問にいったりします。
2回目のクラスを待たずして、教授のオフィスを訪ねました。
いままで何事もなくスムーズに終えてきたオフィス訪問。
ですが!
この教授の「お陰」でなんとも「すばらしい」ものになるなんて!笑
ノックをして教授の小部屋に入ると、「私に何かしてあげられるかな?」と。
私が教授のどのクラスを受講しているかなどを話し終えると…
「君は日本人だろ?」
「はい」
すると教授は「日本人にあのクラスをパスするのは無理だ」
英語を聞き間違えたのか、耳がおかしくなったのか、動揺してもごもごしていると…
「日本人で過去にあのクラスをパスした人はいない」と、さらに言われました。
「日本人だからムリ」という差別的な言い方が理解できず、「どういう意味ですか?」と聞きました。
すると教授は、「どういう意味?こんな基礎的な英語も理解できないんじゃ、君には本当に無理だよ」
「あなたの英語は理解できました。でもその真意がわかりません」そう伝えました。
教授は私の言葉を完全にムシして、「君のその英語力では無理だ。この大学に語学学校があるだろ?そこに通って基礎からやり直しなさい」と言いました。
いついつの卒業を目指していること。
いまこのクラスを放棄し、卒業をのばす経済的な余裕がないこと。
来学期にA2を取るために、今学期にこのクラスをパスしなければならないこと。
全てを伝え、「語学学校に戻るなんてできません」ときっぱり伝えました。
「申し訳ないが君には不可能だ。このクラスを放棄しなさい」
お世話になっているホストファミリーのお家まで、自転車で約30分。
ブドウ畑と牛の間を通る道。
教授の言葉が重く体中にのしかかり、ペダルを早くこげませんでした。
誰もいないお家に到着し、遊ぼうとキャンキャン吠えるわんちゃんたち。
自分の部屋に入り、いつもは閉めないドアを閉めました。
そこから大泣き。
アメリカ留学中に、この時ほど泣いたことはありません。
「そんなこと分かってる」
私が泣いたのは、差別的な発言に傷ついたからではなく、教授が私をバカにした内容が図星だったからです。
私の英語力は「本当にアメリカの大学に通っているの?」と誰もが疑問に思うほど、散々なものでした。
どうやってアメリカ大学に留学できたのか?
(気になる方は ⇧ こちら)
自分の英語になんて、全く自信がありませんでした。
その英語力の低さを誰にも悟られないように(特に会話力)、ほそぼそとアメリカで留学生活を送ってきたのです。
誰にもバレたくない、恥ずかしい。
その最大のシークレットを見透かされた恥ずかしさ。
しかもそれが、人種差別をするような教授。
「なんて情けないんだ…」
英語力をなぁなぁにしてきた自分へ天罰がくだったようでした。
そして「やっぱり日本人は無理だな」と、自分のせいで強い確信を教授に持たせたことが悔しくてたまらなかったのです。
「穴があったら入りたい」という思いで、ベッドの掛布団の下で泣いていました。
クラスは放棄するように言われた。
私の英語力が低いこともバレた。
次のクラスに行くなんて恥ずかしすぎてできない。
どうしたらいいの…
散々泣いて、疲れベッドに倒れこんでいました。
でも思ったんです。
「このままじゃいけない」
「私の英語力はすばらしいんだ!あなたは間違っている!」
とは言えないけれど、笑
「日本人にはムリだと言ったあなたは間違っている!」
と証明したい。
もう「最大のシークレット」がバレちゃったんだし、何も失うものはない。
あの教授をぎゃふんと言わせる!
絶対に屈しない。不可能なんてないってことを証明する!
1回目と同じ席、一番前に座りました。
教室に入ってきた教授は、私をみつけて目をまるくしていました。
1回目のクラスで現場取材したレポートを提出。
現場といっても、それは架空のお話。すべてクラスルームで行われます。
ストーリーは教授オリジナルーで、事件や事故に関わる登場人物、警察など教授が声を変えて演じるというもの。
その話を聞きながら、新聞向けのレポート記事を書きます。
毎クラスで伝えられるストーリーを、次のクラスまでにまとめる。
その日のクラス後、なんと教授から声をかけられました。
「クラスを放棄するように言ったよね?」
私に呆れたなら、ほおっておいてくれと思いました。
はじめて返されたレポート「0点」
かためのボールが頭に直撃したような衝撃を受けました。
人名のスペルミス。
「決意はかたいけれど、私の英語力じゃ本当にムリかもしれない」
越えられそうにない現実が目の前にありました。
「ちがう!失うものはないんだ!やるだけのことを全力でやろう」
そのクラスの後、ええい!と勢いでクラスの白人の女の子に声をかけました。
「今日のストーリーの見直しを一緒にしてくれない?」
その子は、このあとすぐに違うクラスに行かねばならず、決めた時間に図書館で落ち合うことになりました。
そんな声がけ今までしたことがありません。
クラスメイトに助けを求めるなんて、とても恥ずかしいと思っていたからです。
そのクラスメートはアルバイトなどもしていて忙しく、毎回見直しはできないことをやんわり伝えてくれました。
他の方法を探すしかない!
クラスメイトと見直しをしたレポートを提出。
そして前回のクラスで出したレポートが返却されました。
人名スペルミスで0点。
2レポート連続のゼロ。
目の前が真っ暗になりました。
「もう限界かもしれない」
レポートを私に手渡すときの教授の顔。
夢にでそうです。
すでに0点を2つ、あと2つでクラス放棄です。
そんな「最高」のコンディションで迎えた2度目の教授訪問!笑
ドアを開けるとすぐに「クラスを放棄するよう君には言ったはずだ」と言われました。
すでに2つも0点をとっていること。
文法のミスもあったこと。
教授に私を助ける手段はないこと。
きっぱり言われました。
私はいったい何が目的でオフィスアワーに来たのかわからなくなりました。
教授が何かしら手を差し伸べてくれるかもしれない。
なんて思っていたのかもしれません。
しかし、ただただ希望を吸いとられてしまいました。
帰り道、自転車をゆっくりこぎながら考えました。
クラスさえパスすれば、この教授と私の人生が交わることは2度とない。
よし。
ボイスレコーダーで教授のストーリーを録音しよう。
その夜、ホストパパからボイスレコーダーを借りました。
ボイスレコーダーの許可は無事におりました。
でも雑音がひどく、クリアに聴こえず頭を抱えました。
それに、聞きたくもない教授の声をクラス以外で聴く気分は最悪。
週2回のレポート提出、他のクラスの課題も同時進行。
そんな中でも、レコーダーを何度も聞きなおしてからのレポート作成は、1レポートにつき4時間ほどかかりました。
レコーダーを100%信用できない私は、魔のオフィスアワーに行くのでした。
レコーダーでどうしても聴きとれなかった人名。
ダブルチェックすべく教授を訪ねたときのこと。
ドアを開け、私の顔を見た教授が「また君か」と。
もういい加減にしてくれよ、という顔でした。
こんなことでは、もう傷つきません。
「イエス!また私です。笑」
そんな感じで教授の気持ちを察することなくやっていました。
「スペルチェックはできない」
そうバッサリ切られました。笑
ホストパパにレコーダーを聞いてもらえるか頼もう。
ホストパパのサポートのお陰で、安定してレポートにスコアがつくようになりました。
しかしある日のこと。
家に帰るとレコーダーに音声が残っていない!
なんとバッテリー切れだったようで、何も記録していませんでした。
そしてこの事件が最悪の事態を招きます。
3つ目の0点をとってしまったのです。
今学期はやっと半分を終えたところ。
「学期の残り半分で0点をとらない自信なんてない、どうしよう…」
でも、もうやれることをやるしかないんです。
「よし!教授にエクストラクレジットのお願いをしに行こう!」
エクストラクレジットとは、普段の課題とは別の課題で稼げるポイントのこと。
1回目のクラスでもらうシラバス(クラス概要)に書いてあることもあります。
このクラスではエクストラなし。シラバスにも何も書いてありません。
「こうなったら直接交渉だ!」
またまたオフィスアワーへ。
「今度は何がほしいんだ?」と相手も強気です。笑
エクストラクレジットの話をすると、「そんなものは考えたこともない」と。
クレジットをあげることはできない。
でも何か考えてみよう。
その意外な答えに期待しつつ、後日再びオフィスアワーへ。
「クレジットはあげれないが、0を1つ消すことはできる」
私の3つある0点を2つにしてくれるというのです。
「ただし私の課題がクリアできたらの話だ」
なんだか嫌な予感がしました。
「キャンパス新聞があるだろ?君の記事が載った新聞を私に見せることが条件だ」
「どうやったらいいのですか?」
「さぁ、それは君の仕事だ。自分で調べなさい」
さっそくキャンパス新聞のオフィスを訪ねました。
何を聞いたらいいのか、何てお願いすればいいのか…
「すみません、新聞に記事を書きたいんですけど…」
オフィスの人は「は?」って顔をしていました。
正直恥ずかしかったです。笑
全部話して協力してもらおう!
すると「記事が新聞にのる保証はできないけど、インタビューに行って記事を書いてみたら?」と言ってくれました。
保証はなくても、望みがあるならやります!!
「誰にインタビューに行けばいいのでしょうか?」
「自分で探すんだよ」
そこで、その人がぼそっと言った「面白い活動をしている教授」の名前を聞き、彼女を訪ねることにしました。
その日その教授はオフィスにいませんでした。
後日訪ね、インタビューを受けてもらえることになりました!
ボイスレコーダーとペンとメモを持って、決められた日時にインタビューを終えました。
とても優しい教授で、私のためにゆっくり話してくれました。
インタビュー記事を丁寧に書き、アメリカ人のお友達に文法チェックを頼みました。
キャンパス新聞のオフィスに持っていくと「そこに置いておいて」と、かなり雑な扱い。泣
「これに私の未来がかかっているんです!」
本気でそう伝えたかったです。笑
「すみません、この記事が載るとしたらいつごろですか?」
載るかどうかは分からない。
載ったとしても、いつの載るか分からない。
要するに、載ることを信じて、毎号新聞を隅々までチェックするしかないということです。
正確な日数は覚えていません。
希望を捨てそうになりながらも、毎号チェックしていたキャンパス新聞。
「もしかしたら、記事を見過ごしたのかもしれない」
あとゼロ1つでクラス放棄のプレッシャーは本当に重かったです。
なんとか、なんとか載ってくれ、私の記事!
そんなある日、なんと、私の書いた記事を発見してしまったのです!!!
私の名前入りで、小さく載っていたのです!
もう嬉しくて、嬉しくて!!
念のため2部新聞をもって、教授のオフィスに駆け込みました。笑
「教授、ゼロを1つ消してくれるんですよね?」
新聞に記事が載ったらの話だ。
載ってから来たまえ。
そんな教授の思考は無視して、新聞を突きつけました。
その時の教授の顔!
あれは信じられないものを見た人の表情でした。
無理だろうと思っていたのでしょうか。
ムリだと思ったから、この課題を私にくれたのでしょうか。
なんとも良い気分でその日は自宅に戻りました。
ゼロが2つになり、クラス放棄から少し遠のいた気分は最高でした。
2つ連続してゼロをとった時は落ち込んだのに。
同じ2つでも、いまの2つは希望に満ちています。
そしてなんと!
この日から期末まで、2ゼロを守りきりました。
ボイスレコーダーを貸してくれ、サポートまでしてくれたホストパパ。
クラスメイト、文法チェックをしてくれたお友達、インタビューを受けてくれた教授。
本当に感謝しています。
私のそばには天使がたくさんおりました。
期末テストはクラス内でのレポート作成&提出が義務づけられました。
いままで頼りきっていたボイスレコーダーと辞書は、もちろん持ち込み禁止。
自分のメモだけを頼りに、いつもより長めのストーリーをカバーするそう。
それを聞いて焦ったのは私だけです。笑
クラスメイトでボイスレコーダーを使っている人なんていませんでした。
ゼロの数にかかわらず、期末でゼロを取ったら成績はあげられない。
要するに期末でミスをしたら、今までどんな良いレポートスコアを取っていてもお終いということ。
もうここまできたら、やるしかない!
「もう一度言ってもらえますか?」
いままでクラスで言ったことのない言葉を発している自分がいました。
泣いても笑っても今日が最後。
恥なんか、もうずっと前に捨てている。
できる限りのことをやるだけ。
教授のストーリーが終わり、みないっせいに目の前にあるパソコンでレポートを作成しはじめました。
あれ?
私の横に座っているクラスメイトの女の子が泣いている。
テスト中なので話しかけられないし、どうしたんだろう…
突然その子は立ち上がり、私の真横で教授と話し始めました。
教授が「申し訳ないがどうすることもできない」と言うと、彼女は泣きながら教室を出て行ってしまいました。
クラスメイトがみな動揺する中、私には聞こえてしまいました。
彼女のデータが飛んでしまったということ。
教授のストーリーをノートにメモっていた私。
去っていった彼女はパソコンに入力していました。
そのデータがアクシデントで飛んだということは、彼女にはレポートが書けない。
期末のスコアがつかない。
クラスをパスできない。
背中がぞわぞわして、鳥肌がたちました。
レポートを書き終え、プリントアウトし教授に渡しました。
やれることはすべてやった。
あとは結果を待つのみ。
教室からビルの廊下を通り、外の新鮮な空気を吸いました。
雨が止んだばかりの曇り空のような気持ち。
早く晴れないかな。
その学期の成績が発表されました。
なんと、クラスをパスしていました!!!
曇り空がパーッと晴れて、太陽の光が私に注ぎ込むような感覚でした。
長い戦いが終わりました。
諦めなくてよかった。
「無理」「不可能」なんて、やってみないと分からないもの。
やる前から諦めたら、そこで終わってしまいます。
教授は言いました。
「君にはムリだ」と。
自分の限界をだれかに決められたくなんてありません。
自分には越えられそうにない壁にぶつかったら、思い出してほしいのです。
「チャレンジする前からあきらめない」
私のアメリカ大学留学中に出会った教授は、みな素敵な人ばかりです。
このお話にでてくるような教授に出会うことの方が、まれだと思います。
でもどんな出会いでも、出会いは宝。
この教授との出会いによって得たものも、いまとなってはかけがえのないものです。
この経験ができたことに、とても感謝しています。
このクラスで奮闘していた事実は、誰にも話せずいました。
周りのみなはアメリカ大学生活をエンジョイしていて、自分だけみじめに見えていたからです。笑
まわりにも、日本の家族にも、誰にも言えずかなり孤独でした。
でもクラスをパスした後、先輩から言われたひとことがあります。
「え?!あの教授のクラスとったの?日本人は誰も取りたがらないよ」
知りませんでしたが、とにかくあの教授の悪い噂は有名だったそうです。
「なんで次の学期まで待たなかったの?」
へ?!次の学期?
「みんな秋にもう一人の教授からとってるよ」
なんと、わざわざあの教授からとらなくても良かったというオチ。
もう一人の教授は女性でとてもやさしいそうです。
リサーチ不足のおかげで、貴重な経験ができました。笑