アメリカ大学での最後の学期。
卒業を見据え就活をはじめる前に、ふと思ったことがあります。
「もう英語から解放されたい」
英語を習いはじめたころから英語が好きで、「英語が話せるようになりたい!」と留学を決めました。
このお話は、長い時間とお金をかけてアメリカの大学まで卒業したのに、英語から離れる道を選んだ私のお話です。
英語が嫌いになりそう
「留学生活でやれることはやりきった」
そう思う一方で、「英語力が思うように話せるようにならなかった」という現実がありました。
詳しく気になる方は「英語が話せないから留学」をぜひチェックしてみて下さい。
「英語は向いてないのかも」
なんでもとことんやる性格なので、英語にもフルパワーで挑戦してきました。
それゆえ、アメリカの大学卒業間近の低い英語力を結果として受け入れるしかありませんでした。
「これ以上追い求めたら、英語が嫌いになりそう」
就活
「留学で後悔したこと」で触れましたが、アメリカではじめた日本にある企業への就活。
「英語とは関係のない職種を探そう」
え?!と驚かれるかもしれませんが、英語はおまけくらいの、英語需要の低い仕事を探しました。
「とことんやってダメだったから、思い切り離れてみよう」
そんな直感のようなものと、英語力を重視した業種に応募することへのためらい。
ためらいは強く、でもためらいを理由にしたくもなく、「直感を信じよう」なんて結論づけた部分もありました。笑
ただ直感を昔から信じて、良い方向に進むことが多かったというのも事実です。
唯一の心配は、両親がどんな反応をするかということ。
アメリカ留学から帰った娘に、どんな道を進んでほしいか。
それは容易に想像できました。
金銭的なサポートを全面的にしてもらい、どんな顔で話せば良いのか不安で仕方ありませんでした。
ついに日本帰国
両親に本当の気持ちは言えず、卒業前から就活をはじめているということだけ話したような気がします。
「留学で後悔したこと」で話しましたが、就活にはとことん苦戦しました。
卒業前、エントリーシートを送った会社は全滅。
その後も何枚写真をとって、履歴書を書いたか分からないほど、毎日就活に没頭しました。
面接官の疑問
英語とは無縁の業種を希望していたとはいえ、面接官が私の履歴書をみてどうやら気になるのは「アメリカ大学卒業」という経歴。
なぜ英語関係の仕事につかないのか。
逆にその専攻でアメリカ大学を卒業し、なぜこの会社のこの業種を希望しているのか。
TOEICの点数を見て、アメリカ大学まで出てこの英語力?
的を得て自己アピールをしない私を見て、こりゃだめだなと思う会社もあったと思います。
当時の私はなかなか気づかず、正確に自己分析もできていませんでしたし、面接の受け方もかなり自己流でした。
最終面接まで私を残してくれた会社は、私があまりに周りの人と違いへんてこなので、興味をもってくれたのかもしれません。
でも採用をもらえることはありませんでした。
それでも英語からは離れたい
就活に何度行き詰っても、英語関係の職種に軌道修正しようとは思いませんでした。
無い英語力をアピールする自信もまったくなかったのです。
「こんな英語力をアピールされても困らせるだけ」
英語をアピールしだしたところで、就活が上手くいく気もしない。
専攻分野と希望職種に関連性をもたせて、こんなことが御社に貢献できます!
それが私の中で1番のアピールポイントと思い込み、就活していました。
採用の連絡
「留学して後悔したこと」に登場した、企業セミナーで出会ったカウンセラーの男性。
その男性から素晴らしい励ましを頂き、行き詰っていた就活は終わりを迎えました。
英語力は相変わらず視野に入れなかったものの、自信を取り戻し、心から前向きなエネルギーは面接官に伝わったのではないかと思います。
英語とは無縁の仕事
私という人材を必要としてくれる会社で働けること。
長く就活のプレッシャーと共に過ごしてきたので、晴れ晴れとした気持ちでいました。
しかしアメリカ大学卒業後、早く仕事を始めて両親を安心させたいと思っていたので、仕事が見つかったことは良かったのだと思います。
でも、仕事を見つけることだけでは十分でないことは分かっていました。
「英語はいいの?」そう思う母の気持ちはひしひしと伝わりました。
申し訳ないという想いが、消えることはありませんでした。
職場での不思議
職場のマネージャーは、私がアメリカ帰りであるということを「すごいよね」と皆に話しました。
「じゃあ英語ぺらぺらなんだ」
そう言われるのは恥ずかしく、「それが全然ぺらぺらじゃないんです」と本心でありながらも、相手には冗談に聞こえるという状態がつづきました。
ところがある日、英語で会社に電話があり、パニックになった社員さんが私に助けを求めました。
その対応を無事に終えると、「これからは英語の対応は、あなたがいるから大丈夫だね!」
そんな言葉をもらいました。
そしてそれ以来、英語関係の対応は内線がかかってきて、私がすべて受けつけることに!
「英語が話せる人がいて心強いよ」
そんな風に言ってもらえることがうれしく、英語での対応が楽しみになる自分がいました。
そして芽生えた想い
「こんな私の英語力でも役に立つんだ」
もっと活かせる場所はあるのかもしれない。
母が少しでも喜べばと思い、英語を使っているということを伝えてみました。
「そうだよ。英語活かした方がいい。英会話の先生とか興味ないの?」
「興味…あるかも」
新たな挑戦の扉が開けたような気がしました。
同時進行はよくないと、まず会社に辞表を提出しました。
最後の日をきっちり終え、会社を去り、また就活をはじめました。
自信に満ちた就活
新しい挑戦にわくわくする気持ちで、母の言葉通り「英会話講師」としての募集を探しました。
タイミングが良かったのか、募集がかかっていた会社が1件だけ見つかり、そこへ履歴書を送りました。
数日後、面接の連絡を頂き面接へ。
最初の面接、論述試験、模擬授業、社長面接、そして採用!!!!
以前の就活での体験が信じられないほど、あまりにもスムーズに決まりました。
履歴書を送ったのはこの会社だけで、仕事を辞めてすぐのことでした。
その後
「英語から離れたい」なんて思っていたことがウソのように、英会話講師としての仕事を心から楽しみました。
人に英語を教えることで、自分の勉強になったことも間違いありません。
英会話教室の生徒の年齢層は幅広く、英語以外にも「講師」として学び吸収できることも沢山ありました。
人としても成長する機会を与えてもらっているこの環境に、心から感謝し、エネルギーを余すことなく注ぎました。
生徒たちとの距離が近づくにつれ、生徒たちのために何ができるか、もっとできないか。
そんなことを寝ても覚めても考えるようになり、月日は流れていきました。
そしてある日、英語が嫌いな女子生徒が「先生が学校の英語の先生だったら、英語もっとがんばるのに」そう言ってくれました。
「確かに」
なんて、その意見に賛同する他の生徒たち。
他のクラスでも、「先生が英語の先生だったらいいのに」
私の中で、決意が固まりました!
学校の英語教師になる!
留学でゼロになった貯金も、就職後コツコツためたものが私を待っていました。
そこで、「点と点がどこでつながるかは本当に分からない」と驚いたことがあります。
オフィスで隣に座っていた先輩。
彼女はこの時点ではもう退職されていましたが、私の隣の席に座ったとき、ちょうど教員免許の資格を取ろうと奮闘していました。
その時教員免許に興味もなかったのですが、「どんな方法で取っているんですか?」と聞いたことがあります。
「通信でやってるの」
その時は、「ヘ~通信ていうものがあるんだ」くらいにしか思いませんでしたが、それを思い出し検索してみることに。
「通信は働きながら学びたいといった、キャンパスへ通えない人の学習ニーズに応えて創られた教育の仕組み」
「まさにこれだ!」
さらに繋がる点と点
アメリカですが大学を卒業したので、教員免許に必要な科目だけとれば良いのかと思えば大間違いでした。
高校を卒業した人は大学1年から。
日本の短期大学の単位などある人は、2年次または3年次に編入可能。
しかし、アメリカ大学の単位は認定されないとのこと。
※これらの条件は私が希望としていた通信制大学に限ってのものなのか、すべてに共通するものなのかは分かりかねます。
「日本の大学の1年生からやり直すなんて…」
でもここで点と点が繋がります!
実は、私はアメリカ大学編入学をしたので、日本の専門学校を卒業しています。
そして、その日本の専門学校でとった大学2年分の単位は、日本の通信大学で認定されるとのこと!!
「まさか、こんなところで日本で取った単位が役に立つなんて」
通信制大学の3年次編入を果たしました!
想像以上にハード
「教員免許をとるぞ!」と決めたときから、何があっても必ずやり通せる自信がありました。
しかし、この通信制大学の勉強が想像以上にハードでした。
必ず2年以内!と自分で決めたタイムリミットもあったので、頭の中は常に仕事か免許でいっぱい!
通信制大学は、やるもやらぬもすべてが自分次第。
計画性を持ち、モチベーションを高く保っていないと挫折してしまうと言っても言い過ぎではないと思います。
通信を簡単に説明すると…
課題を完成させるためにテキストを読み、レポートを書き、そのあと試験に合格すれば単位取得になります。
しかしそのテキストの内容がとても難しく、「これを自力で理解しろって、冗談でしょ」と思うようなものばかり。
真正面から全力でレポートに取り組んでも、何度も不合格をもらうほど難しく厳しいです。
テストは大学へ出向かなければならず、論述試験です。
通信の生徒は、先生の「ここテストにでるよ~」といったアドバイスもないので、試験範囲はその科目すべてを勉強します。
それに加えスクーリング、介護実習、教育実習があります。
通信制大学での教員免許取得に関しては、興味のある方がいた場合、また機会をもうけてお話したいと思います。
ちなみに日本での教員免許はアメリカでは有効ではありません。
自分を信じて良かった
すべての過程を終え、無事に「中学高校の英語教員免許」を取得しました!!!!
一時は大好きだった英語が、嫌いになりかけたこともありました。
「英語はもうやめよう」と英語から離れたことも。
でも「私が通ってきた道は、私をここへ導くためにあったんだ」
免許を取得し、通信制大学の卒業式に出たときの母の笑顔が、そのことを何よりも証明してくれていました。
直感
就活中、最悪な気分になることもありましたが、「いまこの最悪な状況さえ意味があったんだと思える時が必ず来る」そう思ってやってきました。
そして教員免許を取ったとき、そこから過去の点から点へとつながっていく、星座をつなぐ線のようなものが見えました。
意味のないことはひとつもなく、すべてに意味があった。
直感なんていうと大げさですが、「英語から離れる道に希望があるから」と導かれたような気がします。
どんな時も自分に正直に、ポジティブでいれば、行くべき道に導かれるものだと実感しました。
おまけ
ちなみに「デジャブ」が起こるとき、みなさんはどんな反応をしますか?
一番最初の会社である日電話を取ったとき、英会話講師として働いていたときオフィスで、教室で生徒に教えているとき、私はデジャブを経験しました。
デジャブは「自分が正しい道を歩んできているサイン」だと昔から信じています。
自分が選んできた道は正しいのか。
そんな不安に襲われたとき、デジャブで不安が和らいだなんてことも何度もあります。。
ポジティブに生きる1つのアイデアとして、「デジャブ」を覚えておいてくれると嬉しいです。