アメリカ生活の不安から言い訳ばかり「ずっと英語から逃げてた」

これからするお話は、挑戦することを決心できないときの、私の頭の中の葛藤を覗き見るようなストーリーです。

こうすると良いですよというような、アドバイスや解決策の要素は含んでいません。

挑戦することを決心できないときに、頭の中で起こる葛藤は十人十色だと思います。その中の一人である私の体験談です。

これでアメリカ生活が10倍楽しくなる!

アメリカで就活

アメリカで仕事を探し始めようとしていた私の元に、日本人のお友達からこんな話をもらいました。

「仕事探し始めるって言ってたよね?」

「そうなの」

「私のお友達がお店やってて、日本人探してるって」

「そうなんだ!」

彼女とは前に販売員として、同じお店で働いていました。

「Yuriちゃんのこと話したら会ってみたいって」

「話してくれたの?!ありがとう、ぜひお願いしたい!」

アメリカで日本人が経営するお店。

お客さんは日本人観光客が多いことから、英語も話せる日本人の販売員を探しているとのこと。

アメリカの大学を卒業したのですが英語力がすごく残念なので、「英語より日本語が話せるー!」と浮かれました。

こんなタイミングで私にこんな話をくれるなんて、なんて有難いのだろう。お友達に心から感謝しました。

もう面接

日本人オーナーと面接の日。

「Yuriさん、あなたのことは色々聞いています」

そう言ってくれたオーナーさんはとても話しやすい方で、面接はもちろん全て日本語。

面接での英語が不安だったので、こんな有難い話は夢のようだと思いました。

ほぼ雑談で面接が終了し…

「研修の予定は、今週中にまた連絡します」

「ありがとうございます!よろしくお願いします」

なんてラッキーなのだろう。

「仕事の心配はしなくていいんだー!!」とさらに浮かれました。

最高の気分、だった

一日経ち、気分が落ち着き、昨日の面接を思い出していました。

日本語が話せる。

仕事探しをしなくて良い。

自分にとってすごく楽な道が開けたことで、それが最高の選択肢のように思えました。

でも…これからアメリカでやっていくのに、日本語の環境に入って大丈夫?

「うーん…そうなんだよね…」

従業員が全員日本人だから安心?

「心地は良いけど、自分のためって考えると…どうだろう…」

日本語の環境に入ったら、英語力が改善しないことは分かっていました。

「なんとなく後ろめたさがある…」

アメリカで仕事探しをする不安から、楽な道を選ぼうとしている。

日本人経営、日本人の同僚、安心する環境。

「ここでどれくらい成長できるのだろう…」

でもアメリカの会社こわい

「でもこわい…」

英語での面接。

アメリカ人のボス。

アメリカ人の同僚。

働き方が全く想像できないアメリカの会社の環境。

未知の世界に飛び込んで行く恐怖がありました。

「私の英語は会社で働けるようなレベルではないよね…」

「こんな私よりローカル雇うよね…」

「私、手にこれといった職もないし…」

学生時代アメリカに住んではいたものの、「働く」となるとアメリカという場所は学生時代とは全く違う世界に見えました。

「まだ、まだムリだって言いたい…」

わざわざ冷たい水に飛び込むようなチャレンジをしなくても、他にも選択肢があることに心が揺れました。

「こんなんじゃダメだって分かってる」

手遅れになる前に

「オーナーさんから連絡を頂いてからじゃ手遅れになる」

パソコンを開き、とりあえずアメリカの会社も見てみることにしました。

「ここ良さそうだよ」

一緒に仕事をさがしてくれていたアメリカ人の旦那さんが、良さそうな会社を見つけてくれました。

「販売員…」

アメリカの会社で働くと考えた時に、考えもしなかった職種でした。

「経験のある販売員なら、こんな私でもアメリカの会社で働けるかも?」

希望の光が一瞬さしました。

開かずの扉

しかしその時「開かずの扉に閉じ込めていた恐怖」が襲ってきました。

実は旦那さんの同僚の奥さんは、アメリカで販売員をしています。

「ワイフはいつも仕事から泣いて帰ってくるんだ」

歩合制だったため売上の奪い合いや競争が激しく、その人間関係にもまれ、奥さんはいつも「辞めたい」と言っている。

その話の恐ろしさから「私が生き残れる世界ではない」

販売員への扉は完全に閉じロックました。

アメリカで販売員といっても歩合制がないものも多くあり、そちらは全く別の世界です。

歩合制があっても、会社により職場の環境はそれぞれです。

しかし旦那さんが見つけてくれた販売員のお仕事は「歩合制」。

しかも高価な商品を扱うお店で、女性が多い職場。

それは、旦那さんの同僚の奥さんが働いていた環境とそっくりでした。

偏見はありませんが、そんな恐ろしい話とリンクする世界への扉を開けたいか?

「開けたくない…泣」

消えゆく希望

どんなお店なのか、グーグルマップ上で旦那さんが見せてくれました。

高級感があり、あまりに華やかすぎて「私の様な人間が働く世界ではない…」

かすかな希望の光さえ見えづらくなりました。

しかし旦那さんと話し少しだけ自信を取り戻し、とりあえずお客さんとして、お店の雰囲気や販売員さんの様子を実際に見に行くことにしました。

店内に入るだけのことでしたが、入り口を目の前にして…

「なんか敷居が高い…」

ええい!となんとか入ると、中にいた店員さんの視線が一気に私に集まりました。

「場違い…」

店員さんはセミカジュアルにドレスアップしており、自分がそこに居ることに違和感を感じました。

「服装、絶対間違えた…」

見学に行って余計に、そこで自分が働くことを想像するのが難しくなりました。

「みんなプロフェッショナルって感じだった」

「ムリだよ…」という気持ちで旦那さんと話し、私に射していた希望の光は、さらに細く頼りなくなっていました。

2つの選択肢

2つの選択肢が目の前にあります。

日本人環境で、日本人と働く会社。

販売員を探しているアメリカの会社。

どちらの選択肢が良い、どちらを選ぶことが正しいということはありません。

ただ私には「アメリカの会社で働き成長した自分を見てみたい」というかすかな気持ちがありました。

それゆえその気持ちを見て見ぬ振りをして、楽な道にいこうとしていることに「なんか自分らしくないな」と感じていました。

しかし「どれほど冷たいかも分からない水に飛び込むような不安や恐怖」が、その気持ちを空き消すように暴れていました。

アメリカ大学時代の私

アメリカの大学での自分の姿を思い出していました。

「チャレンジする前から諦めない」

アメリカの大学時代に「これからこの精神を大切にしよう」と誓った言葉です。

日本人の君にはムリだ

そう教授に言われても、あの頃の私は「他人に自分の限界を決められたくない!」と諦めませんでした。

「今の私はどうかな…?」

どんな自分になりたい?

一方は足からゆっくり温水プールに入るような感じ。

もう一方は今まで見たこともないほど高いジャンプ台から、真冬の海に飛び込むような感じ。

2つの会社の選択肢は、私にはこんな風に見えていました。

「怖いけど、この真冬の海に飛び込んだらどうなるのかな?」

チャレンジが困難に見えれば見えるほど、成長した自分に会えることを経験から知っています。

「このチャレンジはチャンスであることも知ってる」

「ここで逃げたら、きっと後悔する…」

限界を決める人

「でも君の英語は十分ではないよ」

「アメリカ販売員の世界で君はやっていけない」

そう自分に語りかけてくる声が聞こえました。

「ジャンプしてもその冷たさに君は耐えられず、5mさえ泳げない。すぐに救命ボートに乗り込むだろう」

「そうかもしれない…」

でもふと考えました。

「この心の声は一体誰の声なんだろう?」

「できない」

「やめとけ」

「君には耐えられない」

誰にもそんなことは言われていない。

気づいたときには背筋が凍るような思いでしたが、そうして私に一生懸命語りかけてくるのは、他人でも誰でもなく、恐ろしいことに「自分自身」でした。

自分の弱さ

「まだ履歴書さえ送っていない」

チャレンジする前から、「私にはできない」なんて自分の限界を自分で決めるなんて…

「一体どうしちゃったの?」

「面接をしてもらえるかさえ分からないのに、何をやっているのだ」

こわいけど、これを経験したら、これからアメリカで生き抜く強い精神力がきっとつく。

「飛び込まないなんて選択は私らしくない」

「これからはアメリカでなんとしてでもやっていく、そう心に決めたよね?」

決断

この前のお店のオーナーにお断りの電話をしました。

「こんな有難いお話を断るなんて、バチが当たりそう」

せっかく紹介してくれたお友達にも、お礼と事情を伝えました。

スッキリした気分で自分に言い聞かせました。

「例えこの販売員の仕事がダメでも、絶対アメリカの会社に就職する!」

旦那さんにその旨を伝え、すぐに履歴書を送りました。

私は必要とされる人?

翌日旦那さんが家を出る前「携帯電話を肌身離さず持っておくんだよ」

「履歴書送った翌日なのに?笑」

とりあえず言われた通り、携帯電話に注意しながら掃除をはじめました。

ブルブルブル…

「あれ?着信?」

旦那さんは心配性だなと思い、電話の画面を見ると

「知らない番号…」

変だなと思いつつも、旦那さんが違う電話からかけてきていると思い「ハロー?」

ドラマあるあるみたいな展開ですが、電話は昨日履歴書を送った会社からでした。

まさか

「明日面接に来れますか?」

「はい、大丈夫です!」

「では明日お会いできることを楽しみにしていますね〜」

電話を切って我に返り…「まさか!」と思いました!

「明日?!こんな早い展開ある?!」

早送りのような1日

翌日、面接。

面接1、面接2…

そして、採用!

店長が「じゃあオリエンテーション頑張ってきてね〜」

お家に戻りソファーに座り、「あっ、なんか仕事決まった」と感情なく思いました。

旦那さんが帰宅して、「おかえり」

「おめでとう!」

「え?まだ何も言ってないよ、笑」

「上手く行くって知ってた」

そう笑顔で言われ、なんだかこれから全てが上手く行くような気がして、パワーが湧きました。笑

はじめの一歩を踏み出すとき

本社での長いオリエンテーションが終わり、帰り道のバスで遠くなる本社ビルを眺めていました。

「あぁ、ついにアメリカの会社で働くんだ」

不安と期待の両方が共存していました。

こうありたいと思っていても、負の感情に支配され、いまはそのタイミングではないなんて思ってしまうこともあります。

挑戦することへのリスクを語り、挑戦しない選択肢がいかに素晴らしいか、そんな言い訳をつい自分にしてしまうこともあります。

しかし「挑戦しなかった後悔はしたくない」

先の読める展開が待つ選択肢よりも、この先にはどんな成長をした自分の姿があるのか、それを楽しみにできる方を選びたい。

最終的にはその自分の考えに、背中を押してもらえることが多くあります。

真冬の海は想像を遥かに超えた冷たさでしたが、その水に慣れ泳げるようになった時「やっぱり私の人生はこうでなくちゃ!」と心から思えました。

 

日記のような話を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

もしアメリカ人彼氏に言われたら「背中に大きなタトゥーがある」

日本でタトゥーといえば、なんとなく気軽に触れづらい話題の一つというイメージがあります。

同じ日本人同士でも、世代や知恵、個々の価値観などで見方は大きく変わるようにも思います。

私の場合タトゥーに特別な興味がなかったものの、タトゥーに偏見のある両親を持ちました。

こんな私がアメリカ人彼氏を持ったとき、そして彼に大きなタトゥーが入っていた場合、私はどうするべきなのか。

そんなアメリカでの体験談をシェアします。

注意

このタトゥーのお話は「日本人がファッション感覚でいれるもの」であり、「ヤクザの刺繍」のことは言及していません。

またこのお話はタトゥーに賛成反対と意見するものではなく、「入れる入れない」又は「あるない」どちらが良いということを伝える意図は全くないということをご理解いただけると嬉しいです。

アメリカ人彼氏のタトゥーどうしよう

母のタトゥー嫌い

日本の両親、特に母が「タトゥー嫌いである」ということを、私はアメリカに行く前から知っていました。

日本に住んでいて、タトゥー入りの可能性が日本人より高い人と出会う機会もなかった私は、入っている人と出会う確率の方が少ないだろうとあまり気にしたことはありませんでした。

しかしアメリカに住み始め、アメリカ人との出会いがあったときには、「確認しなければ…」というプレッシャーが人生ではじめて襲ってきました。

あなたはタトゥーが入っていますか?

今の旦那さんがまだ彼氏だった遠い昔、「タトゥー入ってる?」と何気なく聞いたことがあります。

彼にとっては何気ない質問に聞こえたかもしれませんが、両親のことが気がかりだった私にとっては「入っていたらこの先の付き合いを考えなければならない」と真剣に聞いた質問です。

「入っている」

それを聞いて、まさにちびまる子ちゃんの世界観である「ガーン!!!」という衝撃が頭に走りました。笑

腕や脚など見えるところにタトゥーが入っていなかったので、「きっと入っていない!」と信じたくて、真実の扉をたたくまで時間がかりました。

「どんなタトゥー?」と恐る恐る聞くと…

「背中に大きなドラゴンのタトゥーが入ってる」と笑顔で言われ、「終わった…」と思いました。笑

どうしたら良いのだろう

この先、この彼と付き合いを進めて行くべきなのか。

まだ関係の浅い相手のことを「タトゥーがある」という事実だけでジャッジしている自分がいました。

両親が悲しむ、反対するかもしれないという事実が強く思考をコントロールしていました。

タトゥーはタブー

私には「両親に紹介できないような人とは付き合えない」と考える傾向がありました。

この基準で彼をジャッジしてしまうと、「タトゥーが入っているからダメ」という結論に至ってしまいます。

そこで、自分はタトゥーをどう思うか、タトゥーのある彼をどう思うのかを、両親の目を気にせず考えてみることにしました。

「私はタトゥーに対し、何の偏見も実はない」という、大切なことに気がつきました。

今まではどうやら両親のフィルターを通じ、タトゥーというものを見ていたみたいです。

タトゥーは不便だけど

日本ではタトゥーがあると市民プールやスポーツジムのプールで泳げない、温泉に行けないなど、日本独特のルールがあります。

将来子供ができてプールや温泉に連れて行きたくても、タトゥーがあるとそれができないかもしれない。

タトゥーがあるというだけで、外見でネガティブな判断をされることもあるという認識もありました。

それゆえ「タトゥーがない方が不便がない」とは思っていたものの、タトゥーがある人に対してネガティブなイメージを持ったり、タトゥーがあるという事実だけで人間性を判断するなんてことはありませんでした。

タトゥーがあると不便なこともある。

タトゥーがあると偏見を持たれることもある。

確かにそれらは事実かもしれませんが、「日本では」の話です。

アメリカ人母の気持ち

しかし実はアメリカでも「子供にタトゥーを入れてほしくない」と願う親はいます。私の友人がそうでした。

「どうして?」と聞くと、「必要ないから」と友人は教えてくれました。

日本で良く聞く、「体に傷をつけて欲しくない」「イメージが悪い」とか「将来後悔するような事があるかもしれない」そういう答えではなかったことにハッとさせられました。

しかし彼女の息子さんは体に割とたくさんタトゥーを入れたそうで、「どう思った?」と聞くと…

「いつか入れるんじゃないかと思ったから、やっぱり入れたか〜って感じ」そうあっさり言い、「息子の体だからか好きにしたらいい」と言っていました。

私は日本人ではありますがアメリカでは、タトゥーに関して「日本の見方」または「日本の一般的な価値観」を基準にする必要はないと気付きました。

日本の固定観念を取っ払いタトゥーを考えると、アメリカにいる私には「自己表現の一つ」にしか思えませんでした。

両親対策

両親に彼がどんな人なのかを知ってもらうにあたり、タトゥーがあるないをわざわざ伝える必要はない。

彼にタトゥーが入っているのか、もし聞かれるようなことがあれば「ある」と言おう。隠すことではない。

両親に会わせるころには、彼がどんなに素晴らしい人なのか私は知っているはず。

私が選んだ人に対して「タトゥー」が入っているというだけで反対するような両親ではない。

両親が心配するという理由だけで、タトゥーのある彼氏への見方を変える必要はない。

私はタトゥーに偏見がない。偏見を持つ人を悪くも思っていない。色々な意見があって良い。

そう心から思えた時、まだ見たこともない彼の大きなドラゴンタトゥーは全く気にならなくなりました。

ついにドラゴンタトゥーが!

ある日、彼が私の目の前で着替えを始めました。

ついにあのドラゴンタトゥーが見えるのか!どんなデザインなのか!どれほど大きいのか!

「あれ?!!!」

着替えを終えた彼に思わず聞きました、「ドラゴンタトゥー背中にないけど…」

「ないよ」

どういうことかよく分からず、「えっ、どこに入っているの?」

すると彼が「タトゥーは一つも入ってない」と言いました。

ビックリしすぎて聞いてみると、「タトゥー入ってる?」なんて質問されたことが初めてで、聞かれた時何か変だなと思ったそうです。

なんとなく「入っている」と言ってみたら、私の反応が顔に出て面白かったから、さらなるリアクション見たさに「背中に大きなドラゴンのタトゥーがある」と言ったそうです。

「入ってるか聞いたのは何か理由があったからじゃないの?」

そう聞かれ、全てを見透かされていた気持ちで恥ずかしくなりました。

日本におけるタトゥー事情、実は両親が…という話と、背中にドラゴンタトゥーがあると聞いてからの私の葛藤を聞いてもらいました。笑

彼は日本でタトゥーがそんな風に捉えられていることを知らなかったらしく、「興味深いね」と言っていました。

アメリカのタトゥー事情

彼はさらに言いました、「日本でアメリカのタトゥー事情を知っている人はどれくらいいるのかな」

そこで私が知る限りのアメリカタトゥー事情を、すべてシェアしたいと思います!

まずアメリカではタトゥーが入っていない人も多くいますが、入っていることは全く珍しくありません。

もちろん小さな子供に入っているところは見たことないですが、18歳以下であっても「親の許可証」のようなサイン付きの書類があれば入れられます。

ファッション感覚で入れる人もいますし、自分のカルチャーに基づいた神聖的な意味があるものやトライバルもありますし、家族など大切な人への思いを込めてデザインしたものを入れる人もいます。

例えばディズニー映画「モアナ」に登場するマウイに入っているタトゥーは、彼のアイデンティティに関わる神聖な意味のあるもの良い例です。

宗教的な意味合いがあるものは、どんな宗教を信仰しているかでタトゥーのモチーフが変わってきたりします。

ハリウッド映画では、主人公のキャラクターをより強く表現するためにタトゥーが使われることはよくあります。

またギャングのシンボルとしてのタトゥーもあります。タトゥーを見ただけでどこのギャングに所属しているのかが分かるようなものです。

ラスベガスのような街に行くと、ホテルの中に入ったガラス張りのお店で、お客さんがタトゥーを入れている様子が見られることもあります。

地元のハロウィンエキスポに行ったときも、ブース内でタトゥーアーティストに入れてもらっている人もいたくらい、どこでも気軽に入れられます。

アメリカでタトゥーの話題は、日本人がファッションの話題をするくらいカジュアルに話されます。どんなデザインがカッコイイとか、どんなデザインを次に入れたいとか、自分のタトゥーにはこんな意味が込められているとかそんな感じです。

また日本人がタトゥーの入った人に特定のイメージを持つような感覚で、アメリカでもタトゥーのクオリティーから特定のイメージを持たれることもあるそうです。

クオリティーの高いタトゥーは費用が高く、低いものは割と格安なので、見た目がかなりチープなタトゥーが入っているとあまり治安のよくない地区出身、または住んでいるのではないかと思われることもあると聞きました。

しかしそういうのが好きで入れている可能性もないとは言えません。

最近はアメリカのラッパーなど顔にタトゥーを入れている人を見かける機会が多いですが、一般人が入れるときはまだ注意が必要だそうです。州や地域にもよるそうですが、顔にタトゥーが入っているとアメリカでもあまり良い印象を持たれません。

顔タトゥーが入っていると、アメリカでも州によっては特定の職種に付きづらい、または採用されにくいなんてリスクもあるそうです。

例えばハワイでは、ポリネシア文化の伝統的な模様のタトゥーを顔に入れる人もいます。それが意味するところがハワイにいる限りローカルには分かるので、ローカルに根付いたお店や会社などで働くには問題がないことが多いそうです。

しかし大企業であったり接客業では隠すようにと言われることもあるそうです。どうやって?という感じですが、隠せないのであれば採用できないという意味でもあるのかもしれません。

アメリカ人でも顔タトゥーが入ったギャングなどではない一般人を見ると、ビックリすると言う人もいます。

それゆえアメリカ人でも将来のことを考え、Yシャツで隠せない首から上にはタトゥーを入れないという人もいます。アーティストのようにタトゥーが自己表現の一つとしてプラスに働く人などは、首や顔にも入れている人はいます。

タトゥーアーティストが入れているような首や顔のタトゥーは、目を奪われるほど美しいことが多いです。彼らの個性や雰囲気にとても合っていて、本当に芸術作品です。

体に入ったタトゥーは、全く気にしない職種もありますし、隠せれば問題ないという会社もあります。

ほとんどの職種で「体にタトゥーがあるかないか」を気にされることはないと思います。職種、または入っている場所により違いがある場合もあるのでご了承下さい。

アメリカに住みタトゥーについて思うこと

日本に住む日本人が、ファッション感覚で入れるタトゥーについて一つ思うことがあります。

それは、これからも日本に住み続ける予定で、日本でタトゥーあり生活をする道を選ぶのであれば、日本ではまだ少数派な選択をすることにより起こりうるリスクというものを、入れる前に理解し納得しないと、後に「どうして日本人はタトゥーやタトゥーが入った人に偏見があるんだ」なんて感じなければならない状況に置かれる可能性も大いにあるのかなということです。

もちろんリスクも理解した上でタトゥーを入れたし、入れたことにも後悔していないと言う日本人も知っているので、タトゥーありの日本人の考えも多様であることは知っています。

日本にいる日本人でもタトゥーに偏見も何も持たない人も数多くいると思いますが、タトゥーを入れなければ、関わること又は気にする必要さえなかった偏見持ちの人たちの存在は、入れたことにより気にしなければならない存在になることもあります。

私が両親の偏見をまったく気にしていなかったけど、(実際は入っていませんでしたが)タトゥーありの彼氏を持った途端、両親の偏見について取り扱っていかなければならなくなったのが良い例かと思います。

目立つところにタトゥーが入っている人は、例えば採用面接や結婚の挨拶などで、周りのタトゥーへの見方や価値観などをどうしても目の当たりにするなんてことはあるかもしれません。

「タトゥーはこう捉えられるべきだ!」とタトゥーに偏見のある日本人をいくら説得しようとしても、良い例かは分かりませんが、イエスキリストを強く信じている人に、仏教の教えを説くほど難しいように思います。

国や世代、環境、個々の価値観が変われば見方が変わるのは仕方のないことで、日本ではタトゥーをアメリカ人のように捉える考え方はまだアメリカほど浸透していないというのが事実なんだなと思います。

それが良い悪いという判断ではなく、日本にはまだそのタイミングが来ていないのだなと感じます。

時代の流れ

昔は否定的に取られていた行為が、現代では全く違った見方をされているなんてことは珍しくありません。

時代の流れと共に、人々の考え方や捉え方は変化するもの。それゆえタトゥーもいつの日か多くの人が「普通」だと感じる時代はくるのだろうなぁと思っています。