アメリカ留学中、「こんなことが起こるなんてありえない!」と思うことがありました。
「ありえないこと」と思ったものには嬉しいこと、残念、可哀そう、信じがたいことなど、衝撃をうけた全てのことが含まれます。
人から聞いたもの、人が体験しているのを実際に見たもの、自分が主人公として体験したものなど、細かく分けると沢山あります。
でも今回は、すべて私がこの目で見たものと、自身の体験談。
留学中の経験なので、大学生活とは関係のないものもあります。
私の勝手な衝撃度を基準に、アメリカ留学中の「うそでしょ?!と衝撃だった出来事トップ5」をご紹介します。
#5.アメリカ大学寮で
テレビ付きのリビング、そこからベッドルームに続くバスルームのある短い通路。
ベッドルームには二階建てベッドが2つ両側に置いてあり、上がベッドで下が勉強用デスク。
そんな希望もしていないデラックスなお部屋で、寮生活をしていました。
ルームメイトはヨーロッパから来ていた女の子。
週末にお部屋でラジオの音楽を聴き、鼻歌をうたいながらメイクをする姿が印象に残っています。
平日はあまり会う機会がなく、すれ違いの生活をしていました。
ある日、珍しく私が遅い時間に帰ったときのこと。
リビングが真っ暗だったので、ルームメイトを起こさないように忍び足で。
そっとベッドルームのドアを開けると、部屋は真っ暗。
でも、ルームメイトのベッドの掛布団がもりあがっているのが見えました。
しかも、もそもそ動いている様子。
「あれ?まだ起きているのかな?」
そして急にバサッと人が起き上がりました。
「あれ?男の人?」
布団が体から離れ、裸の背中が現れました。
「あっ…」
そう思うと同時に後ろ歩きをして、そっと音を立てずにドアを閉めている自分がいました。
ベッドの2人は私にまったく気がつかなかった様子。
リビングのソファーに座り考えました。
「明日朝から学校だし、テキストもベッドルーム…」
でも、なんだか気まずかったので部屋を去りました。
外でぼーっとしながら、「どうしたらいいかなぁ」と自分の寮の部屋のドアを眺めていました。
すると部屋からルームメイトと男性が出てきました。
2人に見つからないようになぜか隠れて、部屋に戻りました。笑
また同じことがあったらルームメイトと話そうと思っていましたが、あったのはそれ1度きりです。
「寮生活だからこんなこともあるのかな」と思い衝撃度は低めですが、驚きました。
#4.とあるコンサート
ある日、私の大好きなアーティストが、私が留学中の町にやってくるという情報を得ました。
私がいたアメリカのエリアは、「まさかここに来るなんて!!」と思ってしまうようなところ。笑
しかも彼女は当時大人気で、日本でのコンサートだったらチケットが手に入るかも不安になるような感じ。
「どうしてもコンサートに行きたい!!」
そう思い、ホストパパに確実にチケットが手に入る方法を聞きました。
「チケット発売日に売り場に連れて行ってあげるよ」
そんなに意気込まなくても大丈夫だよというリラックスした感じで言われたので、「もし売り切れちゃったら?」
「心配いらないよ~」
チケット発売当日、パパに「売り切れないうちに行こう!」とお願いしました。
「オープンと同時に行かなくても大丈夫だよ~」
「もう、パパどうしてこんなにのん気なんだ!笑」と思いながら、自分の部屋でそわそわ待っていました。
「じゃあ行こうか~」
車の中で「チケット売り場って一体どんなところなんだろう」と、とっても不安でした。
そして「着いたよ~」と言われて前に現れたのは、ローカルな雰囲気漂うこじんまりとしたスーパー。
「えーこんなところでコンサートチケットなんて売っているの?!泣」
するとパパはさーっとレジに行って、キャッシャーさんと話して、「カードか現金どちらで払う?」と私に聞きました。
お会計を済ませると、なんと私の手元には大好きなアーティストのコンサートチケットが!!
「こんなに簡単に買えるなんて…」
しかもチケットには「アリーナ席」と書いてありました。
コンサート当日。
「アリーナ席なら早めに行けば前に行けるのかも?!」という淡い期待がありました。
アリーナにはイスがあるのか、区切りはあるのか、何の情報もありません。
荷物をロッカーに預ける時間がもったいないと、現金を少しポケットにいれただけの軽装で行きました。
会場前には列ができていて、どのくらいの長さなのか把握しきれないほど。
「結構早めに出発したと思ったのに…」
会場のドアが開いて、中へ。
走っている人が誰もいなかったので、平常心を装いアリーナへ。
何もない平地。
会場は代々木体育館くらいの大きさでした。
すでにステージ前には人だかり。
最後尾に立ってステージを眺め、お友達に言いました。
「ステージから20mくらいだよね。これ相当近いよね」
オープニングアクトで私の知らないバンドの演奏がはじまると、「きゃー!!」と前へ前へと押されました。
そしてオープニングアクトが終わると、沢山の人がアリーナを去りました。
「あれ?」
そう思いながら、すき間を埋めるように前へ。
そしてついに私の好きなアーティストが登場!
かなりもまれ、曲が激しいものになると後ろからのプレッシャーがものすごい!
そして5曲目くらいにはアリーナの1番前に立っていました。笑
警備員さんもいず、柵があるだけだったので、アーティストがしゃがんで手を伸ばせば私たちに届くような距離でした。
「こんな経験したことない…!!」
衝撃と感動で感情的になる中、「パパありがと~」と感謝の気持ちであふれました。
そして、となりの女の子がパチパチ写真をとっていることに気がつきました。
どうやら写真が撮り放題。信じられない!!
「そんなの知らなかったから、カメラ置いてきちゃった…泣」
「いいや、目に焼きつけよう!」
メジャーでない町に留学すると、こんな良いこともあるんだと思いました。笑
#3.データ全消え
「アメリカ大学でされた差別」のお話を読んでくださった方は、聞き覚えがあるかと思います。
私の低い英語力が原因で、かなり苦戦した大学のクラスがありました。
そのクラスには毎回提出のレポート課題があり、教授のストーリーをクラスで聞き、家でまとめ、次のクラスで提出していました。
そのレポートのルールに、地名や人名など、スペルミスのあるレポートはゼロ点というものがありました。
地名は聞いたことのないような、マイナーな場所やスペルのややこしい場所が登場します。
人名も、よく聞く名前であってもスペルを少しアレンジされていたり。
例えば普通なら「c」が1つしかつかない名前に、わざと2つ付けたり。
「b」「v」 や「m」「n」のように、聞き分けるのにややこしい音が入ったものも沢山登場しました。
それゆえ、教授のストーリーを集中して聞かないと、英語の音だけで憶測すると間違えることもあります。
しかもレポートでゼロを3回とったら、クラスは落とさなければなりませんでした。
その説明をうけた一番最初の授業のあと、私の側に座っていたアジア人の女の子は「私このクラスやめるわ」と私に言いました。
英語ネイティブにとってどれほど難しいクラスだったのかは分かりかねますが、私には不安の種でした。
そしてそのクラスの期末テスト。
いつもよりやや長めのストーリーをクラスでまとめ、提出するというものでした。
教授がおっしゃいました「ゼロの数にかかわらず、期末でゼロを取ったら成績はあげられない」
要するに期末でミスをしたらクラスはパスできないということ。
緊張の中、教授がストーリーを語りはじめ、私の隣に座っていた女の子はパソコンを使いメモをとっていました。
ストーリーが終わり、みないっせいにパソコンに向かいレポートを打ち込みはじめます。
すると、パソコンでメモをとっていた隣の女の子が突然泣きはじめました。
試験中だったので声もかけられず「どうしよう」と思っていたら、その子が立ち上がり、私の真横で教授と話し始めました。
教授が「申し訳ないがどうすることもできない」と言うと、彼女は荷物をまとめ、泣きながら教室を出て行ってしまいました。
クラスメイトがみな動揺する中、私には聞こえてしまいました。
彼女のパソコンデータが、アクシデントで飛んでしまったということ。
そのデータがアクシデントで飛んだということは、彼女にはレポートが書けません。
期末のスコアがつかないので、クラスはパスできない。
あまりに恐ろしくなり、寒気がしました。
こんなことが起こるなんて信じられない思いでした。
#2.アシスタントティーチャー
アメリカ大学在学中はずっと、日本に興味のある人が集まるコミュニティに参加していました。
授業で気持ちに余裕のない私でしたが、集まりは週に1度あるかないかだったので、「友達の輪が広がれば」という感じでゆるく在籍していました。
留学生活もあと1学期で終わり。
そんなときのこと。
相変わらずあまり余裕はありませんでしたが、最後だし、後悔のないよう何か新しいことにチャレンジしたいなという気持ちもありました。
他の学校に通うお友達に何気なく話してみたところ、「私と一緒にボランティアやってみる?」と言われました。
実は彼女は大学の日本語クラスで、アシスタントティーチャーとして教授をサポートしていました。
「やりたい!」と思ったのですが、「私学校も違うし、その日本語クラスの教授と面識もないから、どうだろう?」
「確かにそうだねえ」なんて、その話は流れました。
珍しくコミュニティで集まる日。
コミュニティの活動をサポートして下さっていた方と、お話させていただく機会がありました。
彼女は私の通っている大学でクラスは持っておらず、カウンセラーとして在籍されていました。
「この大学の日本語クラスで、アシスタントのようなボランティアを必要としているかご存知ですか?」
「小さいクラスだからどうだろうね、直接教授に聞いてみたら?」
「確かに…」と、そんな質問をした自分が少し恥ずかしくなりました。笑
「ボランティアしたいの?」
今学期が最後だから、今までできなかったことにチャレンジしてみたいんです、なんて話をさせて頂きました。
すると「私のクラスでやってみる?」
「へ?!先生クラス持っていらっしゃるんですか?!」
まったく知らなかったんです。
実はこの方が、私のお友達がアシスタントとしてサポートしている日本語クラスの教授だったんです!!
次の週にはアシスタントとしてクラスで紹介してもらい、ボランティアがはじまりました。
しかも日本語クラスの生徒の1人が、私の家から車で2分のところに住んでいることが発覚!
幸運なことに、クラスのある日は車で送り迎えしてくれることになりました。
日本語クラスのある大学までは、自転車とバスで1時間半ほどかかります。
それをやる気まんまんでしたが、雨の日は大変なのでその申し出は本当にうれしかったです。
さらに有難いことに、日本語クラス期末前の最後の日。
教授が感謝の気持ちを込めてと、アシスタントティーチャーとして活動した証に「証明書」を書いて、クラスの皆の前で私たちに渡してくれました。
人とのご縁の有難みをしみじみ感じました。
#1.生物ラボのクラス
専門用語が多く、興味がなかなか持てず、授業に参加するのさえ億劫だった「生物」の授業。
大学の必修科目だったので、専攻に関係なく皆取りました。
次の学期では生物から解放されると思っていましたが、生物には「ラボ(実験)」のクラスがあることが発覚。
もう最悪すぎる気分で、最初の授業へ向かいました。
コンパクトな実験室でのクラスには、全員の名前を覚えられそうな少ない数の生徒がいました。
ややこしい実験内容の説明。
辞書にもたまに載っていない単語を使う実験結果のレポート。
生物への苦手意識から、頭痛のタネでしかありませんでした。
授業が進むにつれ、ますます分からなくなる内容。
「なんとかせねば」という焦りが襲ってきました。
そしてそのとき同時進行していた、ソーラン節の練習のとき。
休憩時間に仲間とおしゃべりをしていました。
ソーラン節は、学期末にある「カルチャーナイト」というイベントで、参加していたコミュニティメンバーと披露することになっていました。
「ユリ、最近どう?」
「今学期とってるクラスの1つがハードで…」
「何のクラス?」
「生物、しかもラボ」
すると彼女が、「ラボとってるの?どの先生?」
「Aっていう先生」
それを聞いた彼女から、あまりにも信じがたい返事が返ってきました。
「それ私の旦那さんだよ」
もう、世界は狭いと思わずにはいられませんでした。
ラボクラスの定員は少人数なので、同じ内容のラボのクラスを異なった先生がもっていました。
何人かいる先生の中でも、友達の旦那さんのクラスを選んだのも「縁を感じるなぁ」と思いました。
「難しい?」
「うん」
「もっと簡単にするように旦那に言っとくよ」なんて冗談を言ったあと、「あなたのこと旦那に伝えとく」
次のラボクラス。
友達の旦那さんでもある先生から、「ワイフから聞いたよ」と声をかけてもらいました。
共通の知り合いがいるということで距離が縮まり、質問が格段にしやすくなりました。
「有難い」としみじみ感じていると、授業のあと言われました。
「テスト前に質問があったら家にきなよ。その方がじっくり説明できるから」
こんなありえないことが起こるもんなんだ、すごいよと思いました。
そして中間テスト前。
図々しくも、実際にお家にお邪魔させていただき、じっくり2時間ほど低レベルな質問に付き合って頂きました。笑
中間テストのあとは、「こんなバカげた質問…」なんてためらいは消え、どんな質問でもクラスで聞けるようになりました。
期末は先生のお家にお邪魔することなく終え、お陰様でクラスもパスすることができました。
言葉にすること
留学中やってよかったと思うことがあります。
それは困っていることや悩んでいることがあれば「誰かに言ってみる」ということ。
悩みだけでなく、やりたいと思っていること、今学期とっているクラス、気になっていることなどなんでも!
例えば留学中カポエラに興味があり、「1度やってみたいんだよね」なんて何気なくお友達に話したことがありました。
「カポエラ教室に通っている先輩知ってるよ」と、その先輩を紹介してもらい、レッスンに連れて行ってもらうという有難い体験をしました。
どこでどんな形で点と点がつながるかは、本当に分からないものだなと思います。
留学中は「話す」ことで新しいドアが開くこともあります。
「話して良かった」と思えることが多かったです。
誰にも話さなかったことで情報が得られず、あとになって「あのとき話していれば、違う結果になっていたのかも」なんて状況があったのも事実です。
「話すというシンプルなことをするだけで、何かが変わることもある」そんなことを思いました。