留学の地に「アメリカ」を選び、「アメリカ大学進学」をしたこと。
それらに対し後悔の念はまったくなく、感謝しかありません。
留学でやれなかった事、やらなかった事に後悔もないのですが、留学という経験をさらに活かせたかもしれないという「後悔」は2つあります。
どちらも留学前にしっかりと計画を立てていたら、防げたものだと思います。
アメリカ大学留学という経験を、さらに活かせたはず。
留学準備の段階で、先を見据えて、その未来に直面する前に準備しておくことがとても大切だったと気づかされました。
留学の後悔
1.OPTのチャンスを活かさなかった後悔
アメリカへの留学生は、卒業後OPT (Optional Practical Training)という資格が取れるチャンスがあります。
最低何カ月以上はF-1ビザで就学していること。
仕事の内容は自分の専攻分野に関係するものであることなど。
色々と細かなルールはもっと沢山ありますが、2016年以後は12ヶ月から最大36カ月まで延長して滞在できるようになったそうです。
私はアメリカの4年制大学卒業前に、OPTを申請し、雇用主が見つかれば、卒業後の1年間アメリカで働けるという選択肢がありました。
卒業前の最後の学期
日本の大学生は3年次から就活をはじめる。
そんな話を聞き、もう4年生だった私は、アメリカで動きだしました。
希望の就職先は日本の日本にある企業。
ボストンなどでは、留学生向けのキャリアフォーラムが開催されていました。
たくさんの企業が集まり、そこで内定をもらい、帰国後日本で働きだすという場合も多いそうです。
留学仲間がボストンに行った、そんな話を耳にしつつ「これ以上金銭的に親に迷惑をかけれない」と私は行きませんでした。
「アメリカ大学留学費用」でもお話していますが、自分の貯金ももうほとんどなかったのです。
「やれることをやろう!」
前回の日本帰国でとった就活用の写真で、なんとか新卒採用枠に入れるよう、アメリカから沢山の企業にエントリーシートを送りました。
日本へ帰国
卒業したら日本へ帰国し働く。
私が当時置かれていた状況から、その考えが当たり前のようにあり、家族もそう思っていたと思います。
帰国したころには、ほとんどの企業で新卒採用枠のエントリーが締め切りに。
結果を待ち、面接に向けて準備、そして他の企業探し。
しかし、結果からお伝えしますと…
エントリーシートを送った会社すべてからお断りの手紙が届きました。
想像していなかった未来
断りの手紙が届くたびに「☓」をつけていった、自作の応募済み企業リスト。
「まだこれだけ残っているから大丈夫」
バツ…バツ…そしてついに最後の企業にバツが!
「まだすべての企業が締め切ったわけじゃない!チャンスはある!」
でも実際、興味のある業種で新卒採用の募集をしているところは見つかりませんでした。
アメリカ大学卒は不利?
「新卒でなければ中途?」
新卒、中途など私にはこだわりがありませんでしたが「中途は経験がいるのかな…」
日本の大学生が、大学3年生から就活していたことが急にうらやましく思えました。
「エントリーシートの書き方とかも学校で学ぶのかな?」
同じ年度に卒業した日本の大学生と自分の間に、就活に対して大きな差があるような気がしました。
「日本で就職するなら、日本の大学を出た方が良かったのかな…」
OPTが頭によぎる
体から自信が漏れていくような感じがしました。
「いや!まだ始まったばかりじゃないか!」
そんなとき。
「もしアメリカでOPTを取得し就活していたら…」とそんな考えが頭をよぎりました。
そこで初めて、私もOPTを申請できる資格があったことを知りました。
リサーチしなかったの?!と驚かれるかもしれませんが、自分には無縁のものと本気で思っていたので、気にもとめませんでした。
そして、選ばなかった未来を選んでいる自分が急に輝いてみえました。
「せっかくアメリカの大学を卒業したなら、アメリカで就職するべきだったのかな」
OPTは不可能だった
「いや、どう考えても無理だった…」
OPTでアメリカに残り就職というのは、現実的に考えてほぼ無理でした。
私の留学先は田舎町で、OPTで雇ってくれるような企業はありませんでした。
仕事がある都会へ引っ越すにしても、お金がかかります。
大学を卒業したら、さらに1年アメリカに残ること。
さらなる費用を援助してもらえないか聞くこと。
私が帰国することを楽しみに待っている両親に、そんなことは言えなかったと思います。
何も計画していなかったのです。
それに私の英語力で雇ってくれる会社があったか…笑
卒業ギリギリにOPTを決めて、色々な決断をパッとすること…できなかったと思います。
就職先は他にもある
よく考えたらOPTは現実的ではなかった。
「もしOPTでアメリカに残っていたら…そんな未来はなかったんだ!」
「ぼんやりしている場合じゃない」
エントリーシートを送った会社が全滅でも…
もう新卒採用枠で応募できなくても…
「それがなんだ!」
もう少し興味の幅を広げて、違う会社に応募すればいい。
「仕事は世の中に溢れている!」
高校を決めるとき、「自分の希望も大切だけど、決まった高校に縁があったということなんだよ」
そう言ってくれた、とても信頼していた塾の先生の言葉を思い出しました。
「必ず縁のある会社がある!」
長引く就活
その後もポジティブに就活を続けていたものの、なかなか就職先が決まりませんでした。
無知すぎて、的を得て就活というものをしていなかったので、すべての原因は私にあったと今は分かります。
私のポンコツぶりは「アメリカ留学後の圧迫面接」でも、良くお分かりいただけると思います。
就活期間が長くなるにつれ、実家でプレッシャーを感じるようになりました。
面接を受ければ受けるほど、「私は大学で何を学んだのだろう?」と疑問さえ持つように。
「なぜアメリカで就職しなかったの?」
そう聞かれることも多く、「本当だ。どうしてアメリカへ行く前にアメリカで就職するって決めていかなかったんだろ」
アメリカの大学まで卒業させてもらったのに、こんなに就活に苦戦する自分。
両親に対する恥ずかしさと、申し訳なさとで自分が情けなくなりました。
でも「採用されなかった会社とは縁がなかったんだ」とポジティブに、前だけ向いて歩いていました。
ブラック企業
早く両親に良い報告をし、安心させたい焦りから、手あたり次第履歴書を送るようになりました。
自分が希望していない2社から内定をいただいたとき、両親の顔がちらつきましたが、気持ちは複雑でした。
「こんな気持ちでは、会社に失礼なのではないか」
そこで何かアドバイスがもらえないかと、卒業した専門学校の「サポートセンター」のようなオフィスへ行きました。
「どこの会社から内定もらったの?」
データベースでその会社を検索してくれました。
「かなりブラックだね」
「商品開発のような業務内容だと説明されなかった?」
「されました」
「でも実際はきつい営業の仕事がほとんど。残業もひどい」
卒業生の情報から、この会社はブラックリストに載っていると言われました。
「もう一つの会社はどうですか?」
「ん~君さ、会社見る目ないよね。どっちもおすすめしないな」
このオフィスは就活のサポートをしてくれる場所でもなく、職を斡旋してくれるところでもありませんでした。
「会社を見る目か…」
内定はお断りしようと決心しましたが、これからどう就活するべきか悩みました。
「手あたり次第に就活していた罰だな」
「もう一度就活の方法を見直そう」
その年の終わり
希望の会社で、最終面接まで行っても落とされてしまう自分。
誰かと比べられ、選ばれなかったという現実。
「私は企業がほしい人材ではないのかな」
「私が自信を持ってアピールできることなんてないのかな」
年の終わり、企業セミナーのような場所へ出かけました。
いくつかの会社が一つの場所にあつまり、ブースごとに会社の説明を聞くような感じです。
「就活が年をまたぎそうだなぁ」
「まさかこんなことになるとは…」
年末になっても就活をしている恥ずかしさがありました。
それと慣れないヒールの靴で、腰が非常に痛かったです。
「ストッキングも何枚買い換えたんだろ…」
「カウンセリング」というスペースを見つけ、年配の男性の前に座りました。
「就活はどんな感じですか?」
「どんな感じ…」
そう考えはじめると、アメリカから帰国後にあったことが走馬灯のように頭をよぎりました。
そこではじめて、誰にも話したことのなかった不安な気持ちを口にしている自分がいました。
会ったばかりの人にこんな話をするなんて、私もそうとう追い詰められているのかな、なんて少し笑えてきました。
男性はうんうんと優しい表情で聞いていましたが、私が話し終えると、沈黙のあと強めの口調で言いました。
「君はそんなものなのか?」
はっとして、男性の顔をじっと見つめました。
「君がアメリカで乗り越えてきたことは、誰もができることじゃない」
男性は、私を激励するような口調でつづけました。
「君の経験から得たものは、君の大きな強みなんだ」
「それをアピールしないでどうするんだよ」
そこまで聞いて、泣きだしてしまいました。
留学のことなんて詳しく話さず、ただ不安な気持ちを口にしただけなのです。
でもその男性には、私の留学生活がすべて見えているかのように思えました。
泣きやんで、「すみません」という私に、笑顔でこう言ってくれました。
「少しはスッキリしただろ?明日からまた頑張れ」
セミナーの会場を出て、バス停に向かい歩いているとき、不安な気持ちや肩の重荷がふっとんで、体に自信が満ち溢れるのを感じました。
年明け
年末に履歴書を送った会社から、年明け三が日過ぎに連絡があり、面接をしてもらいました。
そして、なんと採用!!やりました!!
すぐに正社員として働きはじめました。
カウンセリングルームのおじさんに、心の中で何度も何度もお礼をいいました。
かなり話をはしょりましたが、アメリカ大学を卒業したあと、私の就活&就職後に起こったドラマ。
興味のある方は「留学して変わった『英語力どうでもいい』」を読んでみてください。
OPTのチャンス
もしも現実的にOPTでアメリカに残ることが可能だったら。
「なぜ目の前にあったチャンスを活かさなかったのか」と、深く後悔していたかもしれません。
しかし、留学する前から大学を卒業したら帰国する。
その考えが当たり前にあったので、目の前のチャンスを逃したという後悔はありません。
しかし。
もしOPTの存在を留学前から知っていて、アメリカに残る計画ができていたら?
そう考えたときに、OPTで得られたかもしれない学びや経験に、とても興味を惹かれます。
OPTに限らず、留学という経験を「最大限に活かす」方法を、「留学前」にじっくり考えることはとても大切だと実感しました。
2.卒業後の目標/目的があいまいだった後悔
その「最大限に活かす」方法を考えることの大切さを、私はとあるお友達からも学びました。
彼女は留学前から、アメリカに住み続けるという目標を持っていました。
そして私が果たすべきだったことを、やり遂げた人物でもあります。
着実に目標へと進む
彼女がアメリカ留学を決めたのは、将来アメリカに住むという目標があったからです。
アメリカに住むなら、日本よりアメリカで学位を取った方が良い。
OPTの存在を留学前から知っていた彼女は、将来自分が仕事にしたいことから大学での専攻を選びました。
絶対アメリカに残りたい
彼女の友達の輪は、日本人からアメリカ人、他国に渡りだれよりも広かったです。
そうなるように、彼女が努力していたのも知っています。
久々に彼女の寮の部屋に遊びにいったとき、部屋へ入ってきたアメリカ人のお友達との会話を聞いて、衝撃をうけたのを覚えています。
「英語うますぎる!!」と思わず言いました。
留学してまだ数か月のことです。
そのころからずっと「アメリカに残りたいから、英語もしっかり話せるようにならないと」
彼女の強い決心は言動からひしひしと伝わっていたので、「絶対にアメリカに残れる」と確信していました。
その後
卒業を控え、また彼女と話せる機会がありました。
「このプロジェクトはエキシビジョンで発表するもので、企業の人も見にくるんだよ」
そう言って、難しそうなプロジェクトの途中経過を見せてくれました。
「企業とコネクションを作れれば、OPTで働かせてもらえるチャンスもあるの」
私はそこではじめて、OPTというものを活かせば、彼女がアメリカに残れるかもしれないという事を知りました。
「どうやってコネクションを作るの?」
「作品の前に自分の名刺を置いたりして、企業の人が私とコンタクトを取れるようにしたりするの」
同じ大学での留学生活ではありましたが、違う世界を生きている人に見えました。
逆算する大切さ
彼女には「卒業後の目標」がクリアにありました。
それを達成するために、すべてを逆算し計画を立て、私にも見えていた努力、そして見えない努力も誰よりもしていたと思います。
その後彼女はそのエキシビジョンで成功し、OPTでアメリカに残れるということを聞きました。
「すごい!!」
彼女の努力が結ばれたことが嬉しく、これからの彼女の活躍が楽しみで仕方ありませんでした。
「英語が話せないから留学」で詳しくお話していますが、私には彼女のような計画性も、将来を見据えた目標もありませんでした。
アメリカ留学の目的も、恥ずかしくなるほど小さかったです。
同じアメリカ大学留学という機会を得た私たちですが、その活かし方には歴然の差がありました。
どちらが良いというものではありませんし、誰もが卒業後アメリカに残りたいと思う訳でもありません。
ただただ彼女の姿は、とてもまぶしかったです。
留学中、私なりにやれる事はフルパワーでしていたので、キラキラ輝く彼女を見て、自分のことについて後悔するなんてことはありませんでした。
しかし、あまりにも強烈に輝く彼女を見て「私もこの留学経験をさらに活かすことはできたのかも」とは思ったものです。
今できること
留学でやれなかった事、しなかった事に後悔したり、「もしあの時…」なんて考えたりはしません。
失敗からでも、「もっと何かできたかも」という後悔に似た思いからでも、これからに活かせる学びを得たことに感謝したいです。
OPTのあとも彼女はアメリカに残り、その後転職したというような風のうわさを聞きました。
「彼女の夢がかなったんだ!!」
彼女の背中から学んだことは大きいです。
夢は叶えるためにあるということ。
「こうなるんだ」という強い想いと、それを達成するまでたゆまぬ努力をつづければ、かならずそこへ辿り着けるということ。
そして、留学という経験を最大限に活かし、未来へつないだ人の持つ輝き。
私の失敗や彼女の成功談が、みなさまの何かお役に立てれば幸いです。