YouTubeではじめてシェアさせてもらった動画に、「日本人差別」に関するものがあります。
アメリカ大学での教授とのやりとりを、経験のど真ん中にいた自分の感情を思い起こしながら話したものです。
沢山のコメントを頂き、有難く読ませてもらう中で、観てくださった方の視点、考え方などから多くを学びました。
自分以外の人のものの見方を知り、視野が広がっていくという経験は、私にとって宝物です。
今回はその動画のお話を、アメリカ人に聞いてもらい、コメントをもらいました!
動画を観たことのない方は、『アメリカ大学でされた差別「日本人にはムリ」』を観てから今回の反応を聞くと、よりわかりやすいと思います。
これは日本人差別?
差別じゃない?
アメリカ人はどう思うのか。
海外の反応を聞いてみましょう!
お願い
コメントをもらったアメリカ人は私の友人ですが、正直な意見が聞きたいから、ありのまま答えてほしいとお願いしました。
私の当時の気持ちを裏づけしようと、この様にまとめたという事は一切ありません。
アメリカ人と言っても、色々な物の味方、感じ方をする人がいるので、これはあくまでも一人のアメリカ人の意見です。
私自身も、賛成も反対もなく、ニュートラルなスタンスで意見を聞き、まとめたものであることをご理解いただけると幸いです。
教授がしたことをどう思う?
ナイスではないよね。
これは差別だと思う?
そう聞こえる。
私はどうするべきだった?
大学のオフィスにレポートした方が良かったんじゃないかな。
教授には、他の解決策はあったと思う?
思う。
いままで日本人生徒を指導する中で、誰もクラスをパスできない、または十分でない英語力に直面する状況に、疲れてきてはいたのかもしれないね。
でも教授は、自分の気持ちを伝えつつ、生徒のやる気を起こさせるような言葉をかけてあげることはできた。
例えば、日本人は今までこのクラスをパスしたことがないし、かなり難しく厳しいクラスなんだ。
いま聞いた範囲ではあるが、君の英語力も十分だとは言えない。
しかし君の努力次第では、パスできる可能性はゼロではないよ。
そんな風に、生徒の背中を押してあげる言葉をかけることはできたと思う。
教授は、生徒のモチベーションが上がるように、サポートするような言葉をかけてあげるべきだと思う。
まぁ個人的な意見だけどね。
教授が「日本人」と人種を特定したこと、どう思う?
誰にでも平等にチャンスを与えるべきだと思う。
この状況を改善するために、私には何かできることがあった?
うーん、ない。パスしたんだし、出来ることを全てやったのだと思う。
エクストラクレジットのチャンスをくれた事はどう思う?
いままで考えたこともないって言ったんだよね?
今まで聞いてくる人がいなかったのかもしれないけど、誰が聞いても、チャンスはくれたと思うよ。
Yuriの当時の英語力では、できるかどうか不確かなところはあったのかもしれない。
英語ネイティブにとって、このクラスはどう?
スペルミスでレポートが0になる、0が4つでクラスを放棄しなければならないというのは、厳しいなと思った。
あと、期末で0を取ったら、今までのレポートスコア関係なく成績をもらえないというルールも。
まぁ、それを聞いてもやってみようとは思うけどね。
「また君か」で爆笑してたけど?
笑っちゃユリに失礼とは思ったけど、その場面を想像すると笑える。笑
「また君か」なんて、教授が言った言葉だとは信じがたいけどね。
「そうです、私です」って笑いながら返したんでしょ?
それも笑える。笑
英語をネイティブとしない留学生をどう思う?
母国語以外の言語で、しかも外国の大学に行くなんて素晴らしい勇気だと思う。
アメリカの大学に入るために、その大学レベルの英語のテストをパスする必要があるのだよね?
それをパスしてアメリカに来るのだから、自信を持って良いと思う。
みな平等に扱われるべきだと思うよ。
「平等」について、もう少し詳しく教えてくれる?
英語がネイティブでない留学生だから、違った扱いを受けるわけではない。
英語がネイティブだからと、特別な扱いを受けるわけでもない。
そんなことがあっては、「フェアーじゃない」と文句を言い出す人も出てくるだろうから。
留学生は英語力のテストをパスしている訳だし、英語力を理由に不当な扱いを受けるべきではない。
英語力や人種に関係なく、チャンスは平等に与えられるべきだと思う。
動画でシェアできなかった話
動画を配信したあとに、「あぁー入れ忘れた!!」と思う場面が2つありました!!
1. もう一人の日本人
実はこのクラスには、私以外にもう一人日本人の生徒がいました。
日本人同士ということで、親近感が沸き、初日のクラスが始まる前に少し話しました。
しかし教授からクラスの内容や採点方法などの説明を受けた後、「このクラスやめるわ」と言われました。
「えっ?!冗談でしょ?!」と思いましたが、その日本人が次のクラスに現れることはありませんでした。
今思えばの話ですが、教授はこういう状況を幾度となく目にしてきたのかな。
だから私を見て「あぁ、また日本人か」と感じたのかな、と思いました。
当時は余裕がなく、教授の立場から物を見ることができませんでしたが、何度もがっかりしてきたのだろうと今なら理解できます。
2. 教授とのお別れ
コメントでも「教授とはその後話しましたか?」という質問を頂きました。
クラスをパスした後、教授のオフィスには行っていません。
当時は「もう教授の顔を見なくていいんだー!イェイー!」という感じだったので、お礼や感謝を伝えに行くという考えからは程遠いところにいました。笑
教授と次にお会いしたのは、卒業式のとき。
専攻と全体の式があり、こじんまりとした専攻の式の方で、教授は壇上に座っていました。
専攻の式は人数が少ないので、一人一人名前を呼ばれ、壇上に上がり、そこに並ぶ教授と握手をしていきます。
他の教授とは握手をしてお礼を伝え、一番最後に立っていたその教授には私からハグしました。笑
「オーライ!」と言いながらハグを返してくれ、私がお礼を伝えると、今でもハッキリ覚えていますが「Take care of yourself.(体に気をつけるんだぞ)」と笑顔で一言いってくれました。
なんだかジワッと目が熱くなり、でもなぜか笑顔になり、今までに感じたことがない清々しい気持ちになりました。
コメントの質問
沢山質問を頂きありがとうございました。今回は2つの質問を厳選させて頂きました!
1. なぜ何度もスペルミスをしたの?
私のリスニング力が原因です。笑
教授はいつも名前を言ったあと、必ず綴りを教えてくれました。
しかし私には、聞き分けの難しいアルファベットがあり、混乱しミスをしました。
教授は、アメリカ人によくある名前を使うときは、「よくある綴り」を少し変えたり、教授オリジナルの名前を使うこともありました。
先入観を持って綴ると、英語ネイティブでも間違える可能性あるややこしさです。
それゆえ、ホストパパに聞き始めてからも、「これで当ってるかな?」「聞いたことない名前(または綴り)だな」と困ってしまうことがありました。
文法ミスは、完全に私の注意不足。
最初のころは「大丈夫だろう」と過信し、ネイティブのチェックを怠ったのが原因です。
コメントで、私の「性格により苦労した気がする」とあったのですが、おっしゃるとおりです。笑
2. かなり英語力が上がった?
英語力、特にスピーキング力が上がったようには感じませんでした。笑
このクラスを経て得たものは、英語力ではなく精神力かもしれません。
電気がパッとつくようにすぐ実感した訳ではなく、じわじわと時間をかけて感じるようになりました。
困難に直面したとき、「あのクラスをパスしたんだ、何だってできるさ」と考えている自分がいて、「あぁ、強くしてもらった」と感謝しました。
元々小学生くらいの頃から、「やるか、やらないか」の選択肢にぶつかると、「やらない後悔より、やって後悔」というモットーのもと、自分の背中を押してきました。
そんな選択をしてきて、結果がどうであれ、「やって後悔」するなんて事はないということも知っていました。
しかしこの経験を通じ、「やるか、やらないか」という選択肢は跡形もなく消えました。
チャレンジが困難であればあるほど、乗り越えたときに得られるものが大きいことを実感し、「やってみよう」という気持ちしか起きなくなったからです。
あとは元々もっている「挑戦する限り失敗はない」という考えで、ポジティブに前に進むだけです。
この貴重な経験をさせてもらえた事。
そして、私に成長するチャンスを下さった教授に心から感謝しています。