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アメリカ留学って理想と現実こんなに違う「そんな時どうする?」

アメリカ留学の中でも、「アメリカ大学編入学」。

アメリカで大学3年生からスタートという留学をしました。

3年次編入の良い点はたくさんあります。

理想的な編入ができれば、それは最大限に活かされると思います。

でも私は、「理想」と「現実」の間にギャップがうまれ、メリットとなるはずだったものが「大きな壁」となってしまいました。

このお話は、英語力の低い私がアメリカ大学に編入し直面したお話です。

あくまで個人の失敗談なので、「こんなことになる人もいるんだ」と参考までに聞いていただけたらうれしいです。

理想① すぐに専門分野を学べる

アメリカ大学の3年次に編入するため、日本の専門学校で「アメリカ大学2年分」の単位を取りました。

その単位をアメリカに持っていって、大学3年生から始められます。

アメリカの4年生大学では、最初の2年間で「一般教養」。

そして3年次から、ビジネスや心理学といった「専攻」を選び、専門性を身につけていきます。

アメリカ大学2年分の単位を日本で取る=アメリカの「一般教養」過程を日本で修了するということになります。

そしてアメリカでは、自分が専門的に学びたい分野をすぐに学び始められます!

「アメリカだからこそ学べる専門、そして実用的な知識を、留学後すぐ学べるなんて効率的!」

理想①の現実 すぐに専門分野がキツイ

一般教養のクッションなくはじまった専攻の授業。

「アメリカにきて、いきなり専門分野キツイかも…」

日本ではさまざまな分野の教養を、どちらかというと広く浅く学びました。

しかしアメリカ大学に編入した途端、急に専門分野にフォーカス!!

「授業内容が恐ろしいほど難しく感じる」

日本でもなんとか授業についていっていた状態だったので、専攻の授業の重みをさらに感じました。

「一般教養のクッション、必要だったのかも…」

そんな中でも授業は進み、英語力の壁もどんどん高くなりました。

「専門分野を学べる十分な英語力、ない…」

そんな泣き言がよぎる中、授業に置いて行かれる不安もおそってきました。

正直私の英語力は、アメリカの大学に編入し、いきなり専門的な知識を学ぶには十分ではありませんでした。

「日本でも英語で講義を受けていたから、内容が『一般教養』から『専門的な知識』へ変わるだけ…」

「そんな考え私には甘かったんだ…」

新しい土地、国までも変われば慣れるまでいろいろある。

そう予想はしていたものの「英語の壁までこんなに高くなるとは…」

クラスメイトの専攻に対するパッションにも少し押され気味。

「本当にこの専攻でいいんだよね?」

興味のある専攻が2つあるから、来学期に専攻を変えるかも。

1つに決められなかったら副専攻として、2つ専攻をとるかも。

実際に専攻を変えた、という話も聞きました。

いろいろな話が耳に入ってきたので、私も自問自答。

しかし私の選んだ専攻から加わった事前必修科目では、今学期のA1を落とすと来学期にA2が取れないというものが多くありました。

「専攻を変えたり、最悪単位を落としたら卒業がのびて費用がかさんでしまう」

「どうしたらいいのだろう」

ものは見方次第!

留学中壁にぶつかったときは、自分と対話する時間が多くありました。

「このままでは単位を落としてしまうかもしれない」

これから起こるかもしれない事への不安。

「もっと高い英語力があったら、専門性を身につけながら英語力をさらに高められたのかも」

日本でやらなかったことへの後悔。

アメリカで自分の現実を目の前にして、限界を感じてしまいそうになりました。

「いや違う!不安に思っても、後悔しても、今ある現状は変わらない」

「それなら、もうアメリカにいるのだから、やるべきことをやるしかない」

「できないことではなく、今できることはなんだろう?」

「アメリカ大学で専門的な知識を学ぶ英語力は、十分にないかもしれない…」

でもなんとか授業についていける英語力はある!

大学のキャンパスを歩きながら、自転車で帰宅しながら、大学の図書館、ベンチなど、いろいろな場所でやっていました。笑

もちろん頭の中でなので、声は出していません。笑

長めに落ち込むこともありました。

でも自分が置かれた「現実」を受け入れ、ものの見方を変えることで「前に進もう!」と頭を切りかえていました。

理想② 英語レベルの飛躍的向上

専攻の授業では「専門用語」がたびたび登場しました。

日本語でも聞いたことのないような英単語や、辞書で調べてもしっくりくる和訳が見つからないものなど。

日本では、新しい単語の意味を「日本語で覚える」ことが多かったのですが…

アメリカでは、「英語を英語で覚える」という作業がぐんと増えました。

たとえば「rollover」という英単語。

ジーニアス英和辞書で調べると…

「ころがり、転倒」

そして「回転貸付」という経済学で使われるような意味もあります。

陸上競技で「ロールオーバー」は、走り高跳びでバーの上で体をバーに平行にする跳び方だとも書いてあります。

しかしこの単語の意味だけを知っても、自分が学んでいる専門分野で、これが一体何なのか、どんな風に使われる単語なのか、どういう役割をするのかは分かりません。

「資金の再投資」なんて意味もあったりします。

意味にあまり執着せず、自分の専攻で学んだ定義を、英語のまま覚えていくことになりました。

これをするようになると、英語では理解しているけれど、英和辞書に載っている意味がどれも当てはまらない。

日本語ではなんというのか分からない、なんてことが起こることもありました。

専門用語を「英語で英語の感覚のまま学ぶ」

いまま日本では使わなかった脳の一部を使うような、そんな不思議な感覚になりました。

英語レベルにさらに磨きがかかりそうですよね!

理想②の現実 英語レベルが高すぎてキツイ

そりゃ英語力が低いとそうなるよね…という感じです。笑

「英語力にさらに磨きがかかる」のは、もととなる英語力があってこそ。

私はその「もと」が不安定。

アメリカ大学編入学への条件。

成績や英語の技能試験TOEFL(トフル)のスコアなどは、確かにクリアしました。

しかし、「その英語力と、アメリカ大学で専門的な知識を学べる英語力は違うような気がしてきた…」

そう不安になるほど、アメリカ大学での授業はショッキングでした。

まずは「これが本場?笑」と言いたくなった、教授やクラスメイトの英語。

日本の専門学校、そしてアメリカの語学学校、どちらでも英語で授業をうけていました。

でも「先生たちは、やさしい英語を話してくれていたのだろうか?」

そう思うほど、アメリカ大学で聞く英語はまったく違うものに聞こえました。

早口に聞こえる英語、そうでないもの。

聴きとりやすい英語を話す教授、そうでない方。

クラスメイトのクリアな英語、もごもご聞こえるもの。

それに加え、「英語を英語の感覚のまま学ぶ」という作業。

急に英語レベルを何段階もあげなければならない事実に焦り、不安になりました。

板書の多い教授、少ない方。

私の不安定な英語力が原因で、小さなことでオロオロ。

「専攻のクラス」自体が大きな壁に見えるようになりました。

語学力を磨きながら、専門性を身につけるという理想。

しかし、語学力と専門性を同時に身につけようなんて「私には限界があるのでは」と疑いはじめました。

日本の「講義を受け身で受けるスタイル」と、アメリカの(特にこじんまりとしたクラスで)「積極的で生徒参加型のスタイル」の違いも不安要素になりました。

英語や授業のスタイルだけでなく、日常生活でも色々なことが重なり、精神的にパンパンになってしまいました。

ひとつだけ!

どこから手をつけてよいのか分かず、頭はパンパン。

そんな中、また自分と対話をはじめました。

「できないことではなく、できること…」

「語学力と専門性を同時進行はできないかもしれない」

「でもどちらかに集中すれば、一方はなんとかなるはず!」

『私は二兎を追い一兎をも得れないタイプと思うから、「ひとつに集中」しよう』

「なんとか講義をうけれる英語力はあるんだ」

「専門性を身につけることにエネルギーを注ぐ中で、自分のペースでいいから英語力が上がることに期待しよう」

そして月日は流れ、卒業のとき。

『理想とは違うかもしれないけど「自分が置かれた状況で、できるだけのことはやりきった」』という実感はありました。

「せっかくのアメリカ、英語も磨けたら最高でしたが…」

英語力はどうなったのかは、「英語ができないから留学」で!

選択肢は他にもあったのかもしれませんが、当時いま以上に器用でない自分らしい決断だったと思います。

ありがたいことに、無事に1つも単位を落とさず、目標にしていた期間内で卒業できたことはうれしかったです。

「あの英語力でどうやって?」と自分でも思います。笑

正直にいえば…

「ちょっと自分に甘かったかも」と思うこともあります。

それはアメリカを離れ、日本で過ごした夏休みのこと。

卒業した専門学校で、アメリカ大学の単位として認められる「夏期講習の受講」をしていました。

「アメリカ大学卒業に向けて」という意味では、やれるべきことはやっていると感じていました。

しかしそれ以外にも、「英語力」のために何かできたかもしれないと、いま振り返り思うのです。

「夏期講習が終わったら、次の学期まで英語は話したくない」

英語が嫌いになりそうな心の状態で、私は今以上に未熟だったので、できたかどうかというのは分かりません。笑

気丈にふるまっていましたが、追いつめられていた部分はありました。

アメリカの留学期間は、永遠に感じるほど長く見えることもありました。

それも考慮しつつ「せめて日本にいる間だけでも、もう少し頑張れたかもね」と、当時の自分に言ってあげたくなることはあります。

理想③ 英語環境は変わらず快適

日本の専門学校では、英語で英語以外の科目を学びました。

先生も外国人の方が多く、日本にいながらアメリカの大学で授業を受けているような感覚になります。

そのためアメリカ大学編入後も、「英語で講義をうける環境」にそれほど大きなギャップを感じません。

たしかに「英語」以外で「環境」が変わるものはあります。

たとえばクラスメイトが日本語を話していたのが、すべて英語に。

日本人、またはアジア人がクラスで自分だけなんてこともあり得ます。

日本では友達を作ることに難しさは感じなくても、アメリカでは少し躊躇することがあったり。

言語は話せても、異国で暮らしていくには知らなければならないことや、慣れなければならないことはたくさん。

小さな変化も、アメリカという外国にいるだけで大きく感じることもあると思います。

でも、英語というコミュニケーションのツールは大きな支えになります。

大学は、いままで日本の専門学校でやってきたことの延長。

そう感じられれば、あとは新しい環境、文化や習慣など、英語力にサポートをもらいながら自分を順応させていけます。

英語も話せないのに、アメリカの環境にも同時に慣れなきゃいけないなんて大変です。

日本でアメリカ大学にいるように授業がうけれ、英語を学べるというのは、渡米後の大きな安心感にもつながると思います。

理想③の現実 英語環境さえも大きな変化

英語というコミュニケーションツールの機能性が、高くなかった私の場合。

渡米後、アメリカでの「すべての変化」にアップアップしました。

上手くいかないことを、英語のせいにしたくなるような日々。

英語が上手くないから自信が持てない。

積極的になれない。

英語のレベルをまわりと比べ、「私の英語は不十分…」

「もっと上手に英語を話さなくちゃ」

そんなプレッシャーを勝手に感じはじめました。

その上、アメリカでの新しい文化や習慣など。

ホームシックも加わり、すべてが一気に降りかかってきました。

「英語がもっと話せたら、どんなに心強かったか…」

大きな支えになると思っていたものがなく、心細くなってしまいました。

同じ敷地内の語学学校に通っていたにもかかわらず、大学生活は全く新しい「アメリカ生活」がはじまったように感じました。

そのうち慣れる!

「やっていけるのだろうか…」

また自分との対話をはじめました。

「不安になるのは仕方ない」

「でも留学を決めたのは自分」

いまするべきことは「やらなきゃいけない」ことでも、誰かのために「やってあげなきゃいけない」ことでもない。

ありがたい両親のサポートを受け、自分で「やろう!」と決めたこと。

いまある状況も、すべて自分が招いたもの。

「自信がもてない」ではなく、「自信をもつ!」にしないと。

「積極的になれない」ではなく、「積極的になる!」

「やらなければ」ではなく、「やるんだ!」

自分で自分の背中を押すように、心の中でよく言っていました。

でもなかなか思うように行動できないこと、不安になることもありました。

そんなときには、こんなことを自分に言っていました。

「そのうち慣れる」笑

最初はたしかに気持ちを落ち着かせようと、「慣れる、慣れる!!」と自分に言い聞かせていた部分はあります。笑

「英語によって聞こえ方が違うのは、きっと慣れていないからだな!」

「板書が少ない教授の授業も、そのうち慣れるさ!」

「そのうち慣れる」と信じることで、小さなことに足踏みせず、前に進めた気がします。

「慣れれば解決することもある」

「いま焦って不安になる必要はない」

自分を追い込みすぎない

たしかに「留学を決めたのは自分自身」

「やると決めたからには、やり通さねば」

そんな風に自分を奮い立たせることが、とても大切な場面もありました。

しかし「そのうち慣れるさ」と、気を紛らわすことが必要なこともありました。

自分へのメッセージは、そのとき置かれた状況によってそれぞれでした。

「そのうち慣れる」なんて言いながら野放しにして、結局卒業の日を迎えたというものもあったりします。笑

でもそれは、「そんなに優先順位の高いものではなかったのかな」

「緊急性のない小さなことに不安になってくよくよせず、その時できること、やるべきことに集中できた」

そんな風に思ったものです。

楽観的過ぎる部分もあるかもしれないので、こうするとよいと推薦するものではありません。

もちろん慣れるまでなんて言っていられず、選択肢もほかになく、何が何でも今どうにかしなきゃならないこと、というのはアメリカ留学中ありました。

そういった緊急を要するものに対しては、ものの見方を変え「何がなんでもやるしかない!」と自分を奮い立たせ行動しました。

しかし留学中に起こるすべての物事に対して、「どうしよう、なんとかしなくちゃ」と自分を追い込みすぎないようにという考えは常に持っていました。

のんきだなぁ、と思われることもあると思います。笑

留学中考えていたのは「心、体が資本」ということ。

そう思うようになったのは、自分を追い込みすぎて心のバランスを崩してしまった方。

耐え切れず、留学の途中で日本に帰国してしまった方など。

さまざまな方の体験を通じ学ばせていただいた、貴重な教訓からです。

最後に

渡米前に抱いた理想通りにはいかなかった編入学。

理想通りだったら、開けていた新たな世界というのもあったと思います。

しかし、大きな壁にぶつかったからこそ学べたことも多いです。

後悔に後悔が重ならず、新たな自分の強みを発見し鍛えられたことは財産になりました。