留学して変わった「英語力どうでもいい」

アメリカ大学での最後の学期。

卒業を見据え就活をはじめる前に、ふと思ったことがあります。

「もう英語から解放されたい」

英語を習いはじめたころから英語が好きで、「英語が話せるようになりたい!」と留学を決めました。

このお話は、長い時間とお金をかけてアメリカの大学まで卒業したのに、英語から離れる道を選んだ私のお話です。

英語が嫌いになりそう

「留学生活でやれることはやりきった」

そう思う一方で、「英語力が思うように話せるようにならなかった」という現実がありました。

詳しく気になる方は「英語が話せないから留学」をぜひチェックしてみて下さい。

「英語は向いてないのかも」

なんでもとことんやる性格なので、英語にもフルパワーで挑戦してきました。

それゆえ、アメリカの大学卒業間近の低い英語力を結果として受け入れるしかありませんでした。

「これ以上追い求めたら、英語が嫌いになりそう」

就活

「留学で後悔したこと」で触れましたが、アメリカではじめた日本にある企業への就活。

「英語とは関係のない職種を探そう」

え?!と驚かれるかもしれませんが、英語はおまけくらいの、英語需要の低い仕事を探しました。

「とことんやってダメだったから、思い切り離れてみよう」

そんな直感のようなものと、英語力を重視した業種に応募することへのためらい。

ためらいは強く、でもためらいを理由にしたくもなく、「直感を信じよう」なんて結論づけた部分もありました。笑

ただ直感を昔から信じて、良い方向に進むことが多かったというのも事実です。

唯一の心配は、両親がどんな反応をするかということ。

アメリカ留学から帰った娘に、どんな道を進んでほしいか。

それは容易に想像できました。

金銭的なサポートを全面的にしてもらい、どんな顔で話せば良いのか不安で仕方ありませんでした。

ついに日本帰国

両親に本当の気持ちは言えず、卒業前から就活をはじめているということだけ話したような気がします。

「留学で後悔したこと」で話しましたが、就活にはとことん苦戦しました。

卒業前、エントリーシートを送った会社は全滅。

その後も何枚写真をとって、履歴書を書いたか分からないほど、毎日就活に没頭しました。

面接官の疑問

英語とは無縁の業種を希望していたとはいえ、面接官が私の履歴書をみてどうやら気になるのは「アメリカ大学卒業」という経歴。

なぜ英語関係の仕事につかないのか。

逆にその専攻でアメリカ大学を卒業し、なぜこの会社のこの業種を希望しているのか。

TOEICの点数を見て、アメリカ大学まで出てこの英語力?

的を得て自己アピールをしない私を見て、こりゃだめだなと思う会社もあったと思います。

当時の私はなかなか気づかず、正確に自己分析もできていませんでしたし、面接の受け方もかなり自己流でした。

最終面接まで私を残してくれた会社は、私があまりに周りの人と違いへんてこなので、興味をもってくれたのかもしれません。

でも採用をもらえることはありませんでした。

それでも英語からは離れたい

就活に何度行き詰っても、英語関係の職種に軌道修正しようとは思いませんでした。

無い英語力をアピールする自信もまったくなかったのです。

「こんな英語力をアピールされても困らせるだけ」

英語をアピールしだしたところで、就活が上手くいく気もしない。

専攻分野と希望職種に関連性をもたせて、こんなことが御社に貢献できます!

それが私の中で1番のアピールポイントと思い込み、就活していました。

採用の連絡

「留学して後悔したこと」に登場した、企業セミナーで出会ったカウンセラーの男性。

その男性から素晴らしい励ましを頂き、行き詰っていた就活は終わりを迎えました。

英語力は相変わらず視野に入れなかったものの、自信を取り戻し、心から前向きなエネルギーは面接官に伝わったのではないかと思います。

英語とは無縁の仕事

私という人材を必要としてくれる会社で働けること。

長く就活のプレッシャーと共に過ごしてきたので、晴れ晴れとした気持ちでいました。

しかしアメリカ大学卒業後、早く仕事を始めて両親を安心させたいと思っていたので、仕事が見つかったことは良かったのだと思います。

でも、仕事を見つけることだけでは十分でないことは分かっていました。

「英語はいいの?」そう思う母の気持ちはひしひしと伝わりました。

申し訳ないという想いが、消えることはありませんでした。

職場での不思議

職場のマネージャーは、私がアメリカ帰りであるということを「すごいよね」と皆に話しました。

「じゃあ英語ぺらぺらなんだ」

そう言われるのは恥ずかしく、「それが全然ぺらぺらじゃないんです」と本心でありながらも、相手には冗談に聞こえるという状態がつづきました。

ところがある日、英語で会社に電話があり、パニックになった社員さんが私に助けを求めました。

その対応を無事に終えると、「これからは英語の対応は、あなたがいるから大丈夫だね!」

そんな言葉をもらいました。

そしてそれ以来、英語関係の対応は内線がかかってきて、私がすべて受けつけることに!

「英語が話せる人がいて心強いよ」

そんな風に言ってもらえることがうれしく、英語での対応が楽しみになる自分がいました。

そして芽生えた想い

「こんな私の英語力でも役に立つんだ」

もっと活かせる場所はあるのかもしれない。

母が少しでも喜べばと思い、英語を使っているということを伝えてみました。

「そうだよ。英語活かした方がいい。英会話の先生とか興味ないの?」

「興味…あるかも」

新たな挑戦の扉が開けたような気がしました。

同時進行はよくないと、まず会社に辞表を提出しました。

最後の日をきっちり終え、会社を去り、また就活をはじめました。

自信に満ちた就活

新しい挑戦にわくわくする気持ちで、母の言葉通り「英会話講師」としての募集を探しました。

タイミングが良かったのか、募集がかかっていた会社が1件だけ見つかり、そこへ履歴書を送りました。

数日後、面接の連絡を頂き面接へ。

最初の面接、論述試験、模擬授業、社長面接、そして採用!!!!

以前の就活での体験が信じられないほど、あまりにもスムーズに決まりました。

履歴書を送ったのはこの会社だけで、仕事を辞めてすぐのことでした。

その後

「英語から離れたい」なんて思っていたことがウソのように、英会話講師としての仕事を心から楽しみました。

人に英語を教えることで、自分の勉強になったことも間違いありません。

英会話教室の生徒の年齢層は幅広く、英語以外にも「講師」として学び吸収できることも沢山ありました。

人としても成長する機会を与えてもらっているこの環境に、心から感謝し、エネルギーを余すことなく注ぎました。

生徒たちとの距離が近づくにつれ、生徒たちのために何ができるか、もっとできないか。

そんなことを寝ても覚めても考えるようになり、月日は流れていきました。

そしてある日、英語が嫌いな女子生徒が「先生が学校の英語の先生だったら、英語もっとがんばるのに」そう言ってくれました。

「確かに」

なんて、その意見に賛同する他の生徒たち。

他のクラスでも、「先生が英語の先生だったらいいのに」

私の中で、決意が固まりました!

学校の英語教師になる!

留学でゼロになった貯金も、就職後コツコツためたものが私を待っていました。

そこで、「点と点がどこでつながるかは本当に分からない」と驚いたことがあります。

オフィスで隣に座っていた先輩。

彼女はこの時点ではもう退職されていましたが、私の隣の席に座ったとき、ちょうど教員免許の資格を取ろうと奮闘していました。

その時教員免許に興味もなかったのですが、「どんな方法で取っているんですか?」と聞いたことがあります。

「通信でやってるの」

その時は、「ヘ~通信ていうものがあるんだ」くらいにしか思いませんでしたが、それを思い出し検索してみることに。

「通信は働きながら学びたいといった、キャンパスへ通えない人の学習ニーズに応えて創られた教育の仕組み」

「まさにこれだ!」

さらに繋がる点と点

アメリカですが大学を卒業したので、教員免許に必要な科目だけとれば良いのかと思えば大間違いでした。

高校を卒業した人は大学1年から。

日本の短期大学の単位などある人は、2年次または3年次に編入可能。

しかし、アメリカ大学の単位は認定されないとのこと。

※これらの条件は私が希望としていた通信制大学に限ってのものなのか、すべてに共通するものなのかは分かりかねます。

「日本の大学の1年生からやり直すなんて…」

でもここで点と点が繋がります!

実は、私はアメリカ大学編入学をしたので、日本の専門学校を卒業しています。

そして、その日本の専門学校でとった大学2年分の単位は、日本の通信大学で認定されるとのこと!!

「まさか、こんなところで日本で取った単位が役に立つなんて」

通信制大学の3年次編入を果たしました!

想像以上にハード

「教員免許をとるぞ!」と決めたときから、何があっても必ずやり通せる自信がありました。

しかし、この通信制大学の勉強が想像以上にハードでした。

必ず2年以内!と自分で決めたタイムリミットもあったので、頭の中は常に仕事か免許でいっぱい!

通信制大学は、やるもやらぬもすべてが自分次第。

計画性を持ち、モチベーションを高く保っていないと挫折してしまうと言っても言い過ぎではないと思います。

通信を簡単に説明すると…

課題を完成させるためにテキストを読み、レポートを書き、そのあと試験に合格すれば単位取得になります。

しかしそのテキストの内容がとても難しく、「これを自力で理解しろって、冗談でしょ」と思うようなものばかり。

真正面から全力でレポートに取り組んでも、何度も不合格をもらうほど難しく厳しいです。

テストは大学へ出向かなければならず、論述試験です。

通信の生徒は、先生の「ここテストにでるよ~」といったアドバイスもないので、試験範囲はその科目すべてを勉強します。

それに加えスクーリング、介護実習、教育実習があります。

通信制大学での教員免許取得に関しては、興味のある方がいた場合、また機会をもうけてお話したいと思います。

ちなみに日本での教員免許はアメリカでは有効ではありません。

自分を信じて良かった

すべての過程を終え、無事に「中学高校の英語教員免許」を取得しました!!!!

一時は大好きだった英語が、嫌いになりかけたこともありました。

「英語はもうやめよう」と英語から離れたことも。

でも「私が通ってきた道は、私をここへ導くためにあったんだ」

免許を取得し、通信制大学の卒業式に出たときの母の笑顔が、そのことを何よりも証明してくれていました。

直感

就活中、最悪な気分になることもありましたが、「いまこの最悪な状況さえ意味があったんだと思える時が必ず来る」そう思ってやってきました。

そして教員免許を取ったとき、そこから過去の点から点へとつながっていく、星座をつなぐ線のようなものが見えました。

意味のないことはひとつもなく、すべてに意味があった。

直感なんていうと大げさですが、「英語から離れる道に希望があるから」と導かれたような気がします。

どんな時も自分に正直に、ポジティブでいれば、行くべき道に導かれるものだと実感しました。

おまけ

ちなみに「デジャブ」が起こるとき、みなさんはどんな反応をしますか?

一番最初の会社である日電話を取ったとき、英会話講師として働いていたときオフィスで、教室で生徒に教えているとき、私はデジャブを経験しました。

デジャブは「自分が正しい道を歩んできているサイン」だと昔から信じています。

自分が選んできた道は正しいのか。

そんな不安に襲われたとき、デジャブで不安が和らいだなんてことも何度もあります。。

ポジティブに生きる1つのアイデアとして、「デジャブ」を覚えておいてくれると嬉しいです。

留学でしなかった最大の後悔「アメリカで良かった?」

留学の地に「アメリカ」を選び、「アメリカ大学進学」をしたこと。

それらに対し後悔の念はまったくなく、感謝しかありません。

留学でやれなかった事、やらなかった事に後悔もないのですが、留学という経験をさらに活かせたかもしれないという「後悔」は2つあります。

どちらも留学前にしっかりと計画を立てていたら、防げたものだと思います。

アメリカ大学留学という経験を、さらに活かせたはず。

留学準備の段階で、先を見据えて、その未来に直面する前に準備しておくことがとても大切だったと気づかされました。

留学の後悔

1.OPTのチャンスを活かさなかった後悔

アメリカへの留学生は、卒業後OPT (Optional Practical Training)という資格が取れるチャンスがあります。

最低何カ月以上はF-1ビザで就学していること。

仕事の内容は自分の専攻分野に関係するものであることなど。

色々と細かなルールはもっと沢山ありますが、2016年以後は12ヶ月から最大36カ月まで延長して滞在できるようになったそうです。

私はアメリカの4年制大学卒業前に、OPTを申請し、雇用主が見つかれば、卒業後の1年間アメリカで働けるという選択肢がありました。

卒業前の最後の学期

日本の大学生は3年次から就活をはじめる。

そんな話を聞き、もう4年生だった私は、アメリカで動きだしました。

希望の就職先は日本の日本にある企業。

ボストンなどでは、留学生向けのキャリアフォーラムが開催されていました。

たくさんの企業が集まり、そこで内定をもらい、帰国後日本で働きだすという場合も多いそうです。

留学仲間がボストンに行った、そんな話を耳にしつつ「これ以上金銭的に親に迷惑をかけれない」と私は行きませんでした。

アメリカ大学留学費用」でもお話していますが、自分の貯金ももうほとんどなかったのです。

「やれることをやろう!」

前回の日本帰国でとった就活用の写真で、なんとか新卒採用枠に入れるよう、アメリカから沢山の企業にエントリーシートを送りました。

日本へ帰国

卒業したら日本へ帰国し働く。

私が当時置かれていた状況から、その考えが当たり前のようにあり、家族もそう思っていたと思います。

帰国したころには、ほとんどの企業で新卒採用枠のエントリーが締め切りに。

結果を待ち、面接に向けて準備、そして他の企業探し。

しかし、結果からお伝えしますと…

エントリーシートを送った会社すべてからお断りの手紙が届きました。

想像していなかった未来

断りの手紙が届くたびに「☓」をつけていった、自作の応募済み企業リスト。

「まだこれだけ残っているから大丈夫」

バツ…バツ…そしてついに最後の企業にバツが!

「まだすべての企業が締め切ったわけじゃない!チャンスはある!」

でも実際、興味のある業種で新卒採用の募集をしているところは見つかりませんでした。

アメリカ大学卒は不利?

「新卒でなければ中途?」

新卒、中途など私にはこだわりがありませんでしたが「中途は経験がいるのかな…」

日本の大学生が、大学3年生から就活していたことが急にうらやましく思えました。

「エントリーシートの書き方とかも学校で学ぶのかな?」

同じ年度に卒業した日本の大学生と自分の間に、就活に対して大きな差があるような気がしました。

「日本で就職するなら、日本の大学を出た方が良かったのかな…」

OPTが頭によぎる

体から自信が漏れていくような感じがしました。

「いや!まだ始まったばかりじゃないか!」

そんなとき。

「もしアメリカでOPTを取得し就活していたら…」とそんな考えが頭をよぎりました。

そこで初めて、私もOPTを申請できる資格があったことを知りました。

リサーチしなかったの?!と驚かれるかもしれませんが、自分には無縁のものと本気で思っていたので、気にもとめませんでした。

そして、選ばなかった未来を選んでいる自分が急に輝いてみえました。

「せっかくアメリカの大学を卒業したなら、アメリカで就職するべきだったのかな」

OPTは不可能だった

「いや、どう考えても無理だった…」

OPTでアメリカに残り就職というのは、現実的に考えてほぼ無理でした。

私の留学先は田舎町で、OPTで雇ってくれるような企業はありませんでした。

仕事がある都会へ引っ越すにしても、お金がかかります。

大学を卒業したら、さらに1年アメリカに残ること。

さらなる費用を援助してもらえないか聞くこと。

私が帰国することを楽しみに待っている両親に、そんなことは言えなかったと思います。

何も計画していなかったのです。

それに私の英語力で雇ってくれる会社があったか…笑

卒業ギリギリにOPTを決めて、色々な決断をパッとすること…できなかったと思います。

就職先は他にもある

よく考えたらOPTは現実的ではなかった。

「もしOPTでアメリカに残っていたら…そんな未来はなかったんだ!」

「ぼんやりしている場合じゃない」

エントリーシートを送った会社が全滅でも…

もう新卒採用枠で応募できなくても…

「それがなんだ!」

もう少し興味の幅を広げて、違う会社に応募すればいい。

「仕事は世の中に溢れている!」

高校を決めるとき、「自分の希望も大切だけど、決まった高校に縁があったということなんだよ」

そう言ってくれた、とても信頼していた塾の先生の言葉を思い出しました。

「必ず縁のある会社がある!」

長引く就活

その後もポジティブに就活を続けていたものの、なかなか就職先が決まりませんでした。

無知すぎて、的を得て就活というものをしていなかったので、すべての原因は私にあったと今は分かります。

私のポンコツぶりは「アメリカ留学後の圧迫面接」でも、良くお分かりいただけると思います。

就活期間が長くなるにつれ、実家でプレッシャーを感じるようになりました。

面接を受ければ受けるほど、「私は大学で何を学んだのだろう?」と疑問さえ持つように。

「なぜアメリカで就職しなかったの?」

そう聞かれることも多く、「本当だ。どうしてアメリカへ行く前にアメリカで就職するって決めていかなかったんだろ」

アメリカの大学まで卒業させてもらったのに、こんなに就活に苦戦する自分。

両親に対する恥ずかしさと、申し訳なさとで自分が情けなくなりました。

でも「採用されなかった会社とは縁がなかったんだ」とポジティブに、前だけ向いて歩いていました。

ブラック企業

早く両親に良い報告をし、安心させたい焦りから、手あたり次第履歴書を送るようになりました。

自分が希望していない2社から内定をいただいたとき、両親の顔がちらつきましたが、気持ちは複雑でした。

「こんな気持ちでは、会社に失礼なのではないか」

そこで何かアドバイスがもらえないかと、卒業した専門学校の「サポートセンター」のようなオフィスへ行きました。

「どこの会社から内定もらったの?」

データベースでその会社を検索してくれました。

「かなりブラックだね」

「商品開発のような業務内容だと説明されなかった?」

「されました」

「でも実際はきつい営業の仕事がほとんど。残業もひどい」

卒業生の情報から、この会社はブラックリストに載っていると言われました。

「もう一つの会社はどうですか?」

「ん~君さ、会社見る目ないよね。どっちもおすすめしないな」

このオフィスは就活のサポートをしてくれる場所でもなく、職を斡旋してくれるところでもありませんでした。

「会社を見る目か…」

内定はお断りしようと決心しましたが、これからどう就活するべきか悩みました。

「手あたり次第に就活していた罰だな」

「もう一度就活の方法を見直そう」

その年の終わり

希望の会社で、最終面接まで行っても落とされてしまう自分。

誰かと比べられ、選ばれなかったという現実。

「私は企業がほしい人材ではないのかな」

「私が自信を持ってアピールできることなんてないのかな」

年の終わり、企業セミナーのような場所へ出かけました。

いくつかの会社が一つの場所にあつまり、ブースごとに会社の説明を聞くような感じです。

「就活が年をまたぎそうだなぁ」

「まさかこんなことになるとは…」

年末になっても就活をしている恥ずかしさがありました。

それと慣れないヒールの靴で、腰が非常に痛かったです。

「ストッキングも何枚買い換えたんだろ…」

「カウンセリング」というスペースを見つけ、年配の男性の前に座りました。

「就活はどんな感じですか?」

「どんな感じ…」

そう考えはじめると、アメリカから帰国後にあったことが走馬灯のように頭をよぎりました。

そこではじめて、誰にも話したことのなかった不安な気持ちを口にしている自分がいました。

会ったばかりの人にこんな話をするなんて、私もそうとう追い詰められているのかな、なんて少し笑えてきました。

男性はうんうんと優しい表情で聞いていましたが、私が話し終えると、沈黙のあと強めの口調で言いました。

「君はそんなものなのか?」

はっとして、男性の顔をじっと見つめました。

「君がアメリカで乗り越えてきたことは、誰もができることじゃない」

男性は、私を激励するような口調でつづけました。

「君の経験から得たものは、君の大きな強みなんだ」

「それをアピールしないでどうするんだよ」

そこまで聞いて、泣きだしてしまいました。

留学のことなんて詳しく話さず、ただ不安な気持ちを口にしただけなのです。

でもその男性には、私の留学生活がすべて見えているかのように思えました。

泣きやんで、「すみません」という私に、笑顔でこう言ってくれました。

「少しはスッキリしただろ?明日からまた頑張れ」

セミナーの会場を出て、バス停に向かい歩いているとき、不安な気持ちや肩の重荷がふっとんで、体に自信が満ち溢れるのを感じました。

年明け

年末に履歴書を送った会社から、年明け三が日過ぎに連絡があり、面接をしてもらいました。

そして、なんと採用!!やりました!!

すぐに正社員として働きはじめました。

カウンセリングルームのおじさんに、心の中で何度も何度もお礼をいいました。

かなり話をはしょりましたが、アメリカ大学を卒業したあと、私の就活&就職後に起こったドラマ。

興味のある方は「留学して変わった『英語力どうでもいい』」を読んでみてください。

OPTのチャンス

もしも現実的にOPTでアメリカに残ることが可能だったら。

「なぜ目の前にあったチャンスを活かさなかったのか」と、深く後悔していたかもしれません。

しかし、留学する前から大学を卒業したら帰国する。

その考えが当たり前にあったので、目の前のチャンスを逃したという後悔はありません。

しかし。

もしOPTの存在を留学前から知っていて、アメリカに残る計画ができていたら?

そう考えたときに、OPTで得られたかもしれない学びや経験に、とても興味を惹かれます。

OPTに限らず、留学という経験を「最大限に活かす」方法を、「留学前」にじっくり考えることはとても大切だと実感しました。

2.卒業後の目標/目的があいまいだった後悔

その「最大限に活かす」方法を考えることの大切さを、私はとあるお友達からも学びました。

彼女は留学前から、アメリカに住み続けるという目標を持っていました。

そして私が果たすべきだったことを、やり遂げた人物でもあります。

着実に目標へと進む

彼女がアメリカ留学を決めたのは、将来アメリカに住むという目標があったからです。

アメリカに住むなら、日本よりアメリカで学位を取った方が良い。

OPTの存在を留学前から知っていた彼女は、将来自分が仕事にしたいことから大学での専攻を選びました。

絶対アメリカに残りたい

彼女の友達の輪は、日本人からアメリカ人、他国に渡りだれよりも広かったです。

そうなるように、彼女が努力していたのも知っています。

久々に彼女の寮の部屋に遊びにいったとき、部屋へ入ってきたアメリカ人のお友達との会話を聞いて、衝撃をうけたのを覚えています。

「英語うますぎる!!」と思わず言いました。

留学してまだ数か月のことです。

そのころからずっと「アメリカに残りたいから、英語もしっかり話せるようにならないと」

彼女の強い決心は言動からひしひしと伝わっていたので、「絶対にアメリカに残れる」と確信していました。

その後

卒業を控え、また彼女と話せる機会がありました。

「このプロジェクトはエキシビジョンで発表するもので、企業の人も見にくるんだよ」

そう言って、難しそうなプロジェクトの途中経過を見せてくれました。

「企業とコネクションを作れれば、OPTで働かせてもらえるチャンスもあるの」

私はそこではじめて、OPTというものを活かせば、彼女がアメリカに残れるかもしれないという事を知りました。

「どうやってコネクションを作るの?」

「作品の前に自分の名刺を置いたりして、企業の人が私とコンタクトを取れるようにしたりするの」

同じ大学での留学生活ではありましたが、違う世界を生きている人に見えました。

逆算する大切さ

彼女には「卒業後の目標」がクリアにありました。

それを達成するために、すべてを逆算し計画を立て、私にも見えていた努力、そして見えない努力も誰よりもしていたと思います。

その後彼女はそのエキシビジョンで成功し、OPTでアメリカに残れるということを聞きました。

「すごい!!」

彼女の努力が結ばれたことが嬉しく、これからの彼女の活躍が楽しみで仕方ありませんでした。

英語が話せないから留学」で詳しくお話していますが、私には彼女のような計画性も、将来を見据えた目標もありませんでした。

アメリカ留学の目的も、恥ずかしくなるほど小さかったです。

同じアメリカ大学留学という機会を得た私たちですが、その活かし方には歴然の差がありました。

どちらが良いというものではありませんし、誰もが卒業後アメリカに残りたいと思う訳でもありません。

ただただ彼女の姿は、とてもまぶしかったです。

留学中、私なりにやれる事はフルパワーでしていたので、キラキラ輝く彼女を見て、自分のことについて後悔するなんてことはありませんでした。

しかし、あまりにも強烈に輝く彼女を見て「私もこの留学経験をさらに活かすことはできたのかも」とは思ったものです。

今できること

留学でやれなかった事、しなかった事に後悔したり、「もしあの時…」なんて考えたりはしません。

失敗からでも、「もっと何かできたかも」という後悔に似た思いからでも、これからに活かせる学びを得たことに感謝したいです。

OPTのあとも彼女はアメリカに残り、その後転職したというような風のうわさを聞きました。

「彼女の夢がかなったんだ!!」

彼女の背中から学んだことは大きいです。

夢は叶えるためにあるということ。

「こうなるんだ」という強い想いと、それを達成するまでたゆまぬ努力をつづければ、かならずそこへ辿り着けるということ。

そして、留学という経験を最大限に活かし、未来へつないだ人の持つ輝き。

私の失敗や彼女の成功談が、みなさまの何かお役に立てれば幸いです。