100%不可能と思われても「アメリカ大学留学できた理由」

「英会話力ゼロ」

「中学英語もあやふやで、高校英語は覚えていない」

そんな状況でも、アメリカの大学へ留学できる!!

英語力がゼロだったのですぐには留学できなかった私は、アメリカ大学への「編入学」を目指すことに。

でも、何からはじめればいい?

英語がまったくできない高校生だった私が、どんな方法で「アメリカ大学編入」したのか。

そして留学に関わらず挑戦したいことがある方に、必ず覚えていて欲しいことをご紹介します。

1.「留学科」のある専門学校へ入学

日本には、「留学科」という学科のある専門学校があります。

私はそんな専門学校の1つに通いました。

その学校には、「アメリカの大学提携校」というものがあり、流れのままそこを目指しました。

提携校が提示する「条件」を満たせば「編入学」できるのです。

ちなみに「編入学」では、アメリカの4年生大学の2年分の単位を日本からもっていき、アメリカ大学の3年生として入学します。

「アメリカ大学の単位を日本でとる」ことになるので、経済や地質学といった講義をすべて英語で受けました。

もちろん私の英語力では、「宿題が何かさえわからない」というレベル。

でも周りは自分より明らかに理解している様子。

「私みたいな英語力の人がくる場所じゃないのかも…」

そんな思いを毎日抱えていました。

2.トフル対策クラスでの奮闘

英語圏の大学や機関に留学するのに、絶対必要な「TOEFL(トフル)

編入学の「条件の1つ」も「規定のトフルスコアクリア」

専門学校の「トフル対策クラス」で学びました。

ちなみに「トフル」は、世界で最も広く受け入れられている英語能力試験のこと。

英語をネイティブ言語としない人の、英語力を判断する基準になります。

私の専門学校では、当時トフル「PBT (Paper-Based Test)」というものが受けれました。

これは紙のテストで、信じられないかもしれませんが「ライティング」も「スピーキング」もありませんでした。

今となってはまぼろしです。笑

今は「TOEFL iBT」が主流で、紙ではなくインターネット。

しかも英語の4技能すべてをテストされますよね。

そういう意味ではとってもラッキーだったのですが、PBTでさえスコアが伸びないという現実。

周りが「スコアをパス」するたび、プレッシャーはますます大きくなっていきました。

3.テストと提出物にフォーカス

「編入学」の条件には、トフル以外に「それぞれの科目で規定以上の成績を残す」というものもありました。

それはもちろん専門学校でとる「アメリカ大学2年分の単位」の「成績」のこと。

「英語がゼロなのに?」です。

「英語力をあげてから講義がはじまる」のではなく、「トフル対策」と「大学の講義」は平行して進みます。

しかし!です。

「アメリカ大学の授業風景」を想像してください。

専門学校の講師はほぼ外国人。

生徒が積極的に手をあげ、教授とのやりとりで活気にあふれている。

自分の「やる気」は授業態度で示す。

私はそんなイメージを持っており、実際留学したあとに「イメージ通りだぁ」でした。

英語が話せない私が、どうやって「積極的に発言」するのか?

しかし、ここは「日本」の専門学校!

学校の講師のみなさんは、日本の「受け身」授業スタイルに慣れていました。

アメリカ講義のように、積極的に発言しなくても、「提出物」や「テスト」を頑張れば評価してくれたのです。

授業についていくだけで精一杯の私には、かなりありがたい現実!!

その環境に甘えて英会話が全くのびず、アメリカで苦労したお話はまた…

でも、英語が話せなければ「クラスパスは絶望的」なんてことはなく、希望がもてました。

4.クラスメートから日本語でサポートを頂く

アメリカに行けば、クラスメートに日本語で質問なんてできませんよね!

でも私は日本で、日本語を話すみんなに囲まれていたのです。

「宿題もわからない」

「提出物の期限もわからない」

「全く理解できない」なんていう事実は恥ずかしいのでふせて…

「宿題はこれでいいんだよね?」

「期限を聞きそびれちゃって」

なんて質問をさせてもらい、なんとか乗り切っていました。笑

たまにノートを見せてもらったり…

クラスメートが日本人という事実は、英会話の上達にはつながりませんが、私には大きなサポートでした。

5.アメリカの語学学校へ入学

時は経ち、1年11か月という期間が専門学校で終了しました。

英語のレベルは思ったように上がらず。

「辞書を片手になんとか英文が読める」

「文法ミスだらけだけど、辞書があればなんとか小論文が書ける」

「1つの講義を、35%くらい理解して聞ける」

英会話力は…どれくらい会話ができたか分からないほど、全く英語を話していませんでした。

「あいさつは英語だったかな?」という程度です。

それでも「成績」の条件は「なんとか」クリア。

でも「トフル」で失敗。

「専門学校卒業後どうしよう」と悩みました。

「成績の条件はクリア」していたので、あとは「トフルスコア」のみ。

「自力で勉強しよう!」

そう決めた私に、「アメリカに行ったほうがいい」と両親が背中を押してくれ、なんと「語学留学」することに!

目指していたアメリカ大学付属の「語学学校」へ行きました!

期間は4か月。

語学学校に「トフル対策」というクラスはなかったので、トフルの勉強は寮で、結局自力でやっていました。

クラスメートたちが「なんで語学学校にいるの?」というハイレベルだったので、英語を学ぶモチベーションはかなり高く保てました。

6.英会話は捨てトフルに集中

「英会話は語学学校と英語環境に任せる」

「トフルスコアのクリア」を目標に語学留学したので、「英会話」は二の次。

実はアメリカでのトフルは、日本で慣れていた紙ではなく、コンピューターテストのみ。

当時のコンピュータートフルは「CBT」

「ライティング」が追加されたものの、「スピーキング」はまたしてもテストされないという事実。

「それなら会話の勉強はしない!」

『この4か月は「文法」と「ライティングに集中しよう!」

アメリカの語学学校にまで行って、「英会話」を捨てるなんてどうした!?

「もし編入学できたとしても、英語が話せないの困るよ…」

という感じですが、「トフルスコアのクリア」にフォーカスしました。

7.むりやりに大学編入学申請

4か月中、トフルテストを受けるチャンスは「4回」

失敗するたびに、重くなるプレッシャー。

しかも、結局4回すべてに失敗。

え!?

5回目のテストを受けてパスしても、その結果が届いてからでは「編入学申請」には間に合いませんでした。

でも5回目を受験。

え!?

そしてむりやり編入学申請をしました!笑

パスしている保証もないのに、「トフル合格見込み」という無理やりな方法で。

高い申請費を払ったとき、「トフルがだめでも申請費は戻りません」と言われました。

でも、アメリカにいるうちにしか申請手続きができなかったのです。

しかもホストファミリーまでちゃっかり決め、荷物を預かってもらうため「1か月分の費用」を渡しました。

バカなことを…と思われるかもしれません。

しかし、この語学留学でトフルがだめなら「留学はあきらめる」と両親に誓ってきました。

「やれることはすべてやりきった!」

「自分の可能性を信じたい!」

だから「絶対大丈夫!」

そんな風に強がっていましたが、実際は「不安」でしかたありませんでした。

8.日本へやむを得ず帰国

両親には「5回目は絶対に大丈夫」とだけ伝え、金銭的な全面サポートをしてもらいました。

トフル結果は、日本の住所に郵送されるようにしました。

帰国後、念のため就活をはじめるべきなのか。

家族も私の扱いに困る中、「一体どんな顔をして毎日過ごせばいいのだろう…」と悩みました。

「もしトフルがだめだったら」

そう考えると、不安で不安で頭がおかしくなりそうでした。

専門学校と語学学校まで行かせてくれ、申請費やホストファミリー代も出してくれたた両親。

なんの期待にも応えられないかもしれない私。

この「トフル結果待ち」の期間は、人生最大の「自己嫌悪」に陥りました。

9.結果、そして…

奇跡的に「パス」していたのです!!

「私にもこんな奇跡が起こるんだ!」

「あきらめなくて良かった…」

サポートしてくれた、すべてのみんなに感謝です。

「あぁアメリカ大学入学の夢が叶う!!」

こうして私は「アメリカ大学編入」をしました。

経験から得た「自信」

「英語がゼロ」だから「語学留学」。

「アメリカ大学に行く」なんて不可能である。

そんな風に「自分の限界」を決めてしまうのはもったいないです。

たしかに「英語ができる」人よりも「やや遠回り」しました。

費用が余分にかかり、両親に余計なリスクを負わせてしまったのは事実です。

でも遠回りした経験の分、「学び」は多かった。

それに「ゼロ」から「夢」を追いかけて、それを達成した!

その達成感からは、異常な「自信」を手に入れました!笑

「無理だ…」と思った時点で、可能性は消えてしまいます。

「やってみたい」と思ったら「やってみる」

あとは「やってみることができる」その環境に感謝ですよね。

「英語が話せない」から留学!残念すぎる結果

英語が話せない、でも話せるようになりたい!

英語の環境に身をおけば、英語は話せるようになるはず。

そうだ、留学しよう!

そう思う人は多いのではないのでしょうか。

英語留学した結果

実際に私もそう思い、留学しました。

「英語が話せない」から「話せるようになるため」…

でも留学後、英語が話せるようになりませんでした。

「英語」だけが目的なら

「英語が話せないから、話せるようになりたい」

留学の目的=「英語が話せるようになりたいから」

もしこれが当てはまるのであれば、「留学」である必要はなかったのかも…

留学=英語上達ではない

「留学」という経験だけでは、英語は話せるようにはならないのではという疑問。

日本で勉強するより、英語の環境に入った方が上達が早い。

毎日英語シャワーを浴びれば、リスニング力も伸びる。

毎日の生活で英語を話せば、スピーキング力も上がる。

英語に囲まれて生活すれば、リーディング力も上がる。

私もいろいろな期待をもって、「留学」という道を選びました。

「英語環境」になれば、自然と英語が身につくものだとも思いました。

でも、留学後に直面した現実は「思い描いていたように話せるようになっていない…」ということ。

どんな未来を期待していますか?

私の留学後の未来像は「英語がペラペラ」。

留学までしたんだから、日本で勉強するよりも早くペラペラになるはず!

そんな期待を持っていました。

でも私の英会話力は「ペラペラ」とはほど遠く、「本当に留学したの?」と疑いたくなるようなもの。

「日本で勉強しても変わらなかったのではないかなぁ」とさえ思いました。

留学の期間が短すぎた?

勉強量が足らなかった?

留学期間は関係ない

「英語が話せるようにならなかった」というのは、4か月ほどの「語学留学」をしたあとの話ではありません。

アメリカの語学学校での4か月。

そのあとアメリカ大学に編入。

そして2年半を過ごし、卒業した後の話。

本当にウソみたいな話ですが、卒業後も「英語が話せます」と自信をもって言えないレベルでした。

選択肢はいろいろある

目的が「英語」であれば、「留学」という選択肢以外にも色々考えられるのです。

アメリカ横断をする。

3か月の旅行ビザで、アメリカ、イギリス、カナダなど英語圏を旅する。

お金をかけずに「英語を学ぶ」方法だってあります。

海外のボランティア活動に参加する。

日本に滞在している外国人と友達になる。

日本にいる外国人に日本語を教える代わりに、英語を教えてもらう。

「語学」にこだわりすぎず、経験を通じて「英語を習得」することはできるのです。

「目的」を見直そう

私のような残念な結果を得る人もいれば、そうでない人もいると思います。

でも「英語が話せるようにならなかった」、という残念な結果が残るリスクがあるのは事実。

でもチャレンジに、「失敗するかもしれないリスク」はつきもの。

リスクを恐れて、チャレンジしないなんて道は選びたくありません。

そこで!

「英語の上達」を、「旅をはじめる動機」と考えたらどうでしょうか?

「旅」=「英語環境が開けるよう何か新しいことをはじめること」

海外での新たな冒険。

これから海外で出会う新しい仲間。

いまとは違う未来の自分。

「留学」にこだわらなくても英語は学べるのです!

「経験」から言えること

「留学」をして、英語が思うように話せるようにならなかった人をたくさん知っています。

目的が「英語が話せるようになること」であれば、他の選択肢をみてから決めても遅くはないのではないかと思うのです。

それは、語学学校に行き、アメリカの大学まで卒業した私が思ったことです。

卒業した私が得たものは、「英語ペラペラ」はなく「経験」。

それは「留学したから得られたもの」で、後悔は全くありません。

しかし、留学にかかった費用を他の経験にあてていたら…

違う道を選んでいたら『得られたかもしれない「経験」』に、とても興味をそそられるのです。

留学して英語のレベルがどうなろうと、後悔することはないと思います。

でも、その経験を通じ「英語が話せるようになっていたら…」

他の道を選んでいたら、何か違っていたのではないか。

そう思う気持ちは残るかもしれません。

方法は1つ(留学)だけではない

「留学する」ということは、本当に大きな一歩!

大冒険です!

しかし目的地までの道のりは、「1つ(留学)」だけではないということを、覚えていてほしいです。

目的地を目指して旅をはじめたら、あとはおもいっきり旅路を楽しんで欲しいと思います。

チャレンジすることを恐れないで。

たくさんのことを吸収して来てください。