アメリカ留学に猛反対「絶対に失敗する!」

当時、高校3年生。

アメリカ留学の中でも、「アメリカ大学」への進学に夢を抱きはじめました。

そのなんとなく抱いていた「夢」が、ある衝撃をきっかけに「絶対的」なものに変わったお話です。

留学に失敗はある?

「失敗」に対する定義は人それぞれ。

見方によって、こんなにも意見が変わってくるものかと思わされます。

校則の厳しい高校

服装や頭髪、爪など厳しい校則のあった私の高校。

ジェルをつけて学校にくれば、洗面所で髪を洗わなければなりません。

まゆ毛を描くくらいのお化粧でも、顔を洗い、お化粧を落とさなければなりません。

学園祭でも、ピアスや茶髪のお友達は、学校の正門で追い返されていました。

校則には従う。

何の疑問もなく、何の反抗心もなく、静かな高校生活を送っていました。

ロングバケーション中は…

長い休みのときだけ、髪を染める楽しみがありました。

でも学校がはじまる前には、真っ黒に髪を戻し、校則通りにしました。

マスカラをつけるくらいのお化粧も、休みの間だけ。

高校ではまゆ毛さえ描いたことがありませんでした。

頭髪&服装検査

抜き打ちで行われていた頭髪&服装検査。

抜き打ちといっても、休みの後は必ずです。

全校集会のあと、1列1列を数人の先生で上から下までジロジロ見られます。

「ちょっと…」

その日、腕をひっぱられ集会の後に残るように言われました。

1年生から3年生まで、検査に引っかかった生徒が残っていました。

そこから長いお説教がはじまり…

「おまえら明日までに直してこいよ」

この黒さは異常

学校から帰り、真っ黒の髪にまた黒をいれました。

「地毛よりも黒い…」

休みの後、頭髪検査があることは知っていたので、かなり黒くしたつもりです。

それでも検査にひっかかったことに驚いたほど。

「なんか黒いツヤで昆虫みたい」

次の日

担任の先生が髪をチェックして下さったとき。

「直してこいっていったよね?」

その言葉は、私をかなり疑っている様子。

「はい、昨日もう1度黒染めしました」

「いい加減にしなさい」

正直、先生がどうしてそんなことを言ったのかと戸惑いました。

「地毛よりも黒いですけど…」

すると、太陽の光が当たるところに連れていかれました。

「これでも、まだそんなこと言うのか」

先生は、光に当たると茶色いことを指摘されました。

地毛より黒かったら、こんな風に茶色にはならないと。

授業中

その担任の先生のクラスの時間。

生徒の1人が教科書を読み上げる中、先生は教科書を持って生徒の間を歩きはじめました。

自分の席で、教科書に目を落とし授業に参加していた私。

先生の足が私の席で止まり、少し不機嫌な声でこうおっしゃいました。

「おまえは本当に…」

そして、持っていた教科書で私の頭をたたきました。

すっごく痛くて、思わず「イタイ」と言ってしまいました。

先生は、なぜだか教科書の角で私の頭をたたきました。泣

「明日には直して来いよ」

3度目の黒染め

「何も変わってない」

正直、2度目と3度目に変わりは全くありませんでした。

かつら?と言われてもおかしくないほど、不自然に黒かったです。

次の日先生は、横目で私をジロりとみることはあったものの、何もおっしゃいませんでした。

「なんだか、なんだか納得いかない」

「でも規則だから仕方ない」

先生から信用されていないと感じましたが、正直、私も先生を信用するのが難しくなってしまいました。

そんなモヤモヤした「教師と生徒の関係」の中で、三者面談の時期がきました。

言いたい放題の三者面談

三者面談には、お母さんが来てくれました。

面談がはじまると、頭髪検査のことなど、学校での様子を先生は母に話されました。

母は、ただただ先生のお話を聞いていました。

進路調査票をみて、先生がおっしゃりました。

「アメリカの大学に進学希望?」

これといった理由も動機もありませんでした。

高校卒業後の進路を考えたときに、自分について考えました。

「好きなことってなんだろう?」

そのとき私が興味があったもの、それは「英語」。

「英語が話せるようになったらいいなぁ」

当時アメリカドラマを観ていた影響もあったのかもしれません。

「英語ならアメリカ!アメリカの大学に行ってみたい」

本当に、そんな感じで「アメリカの大学に進学希望」と書きました。

志望の理由は?

先生に聞かれ、素直に答えました。

「英語が話せるようになりたいから」

先生は私の言葉に腹を立てたのか、宿題を忘れた生徒を見るようなキツイ目で私を見てこう一喝。

「そんな理由では絶対に失敗する!」

今思えば、先生のお気持ちも分からなくはありません。

英語が話せるようになりたいから「アメリカの『語学学校』に留学」なら、「あぁそう」となっていたのかもしれません。

でも私の希望は「アメリカ『大学』への留学」

私の発言に先生は心から呆れているようでした。

しかし、当時の先生と私の関係は先に述べた通りです。

私は先生のその言葉を聞いて「なんてことを言うの…」とがっかり。

先生は続け…

「そんな目的で成功するほど甘くない」

先生の「失敗」の定義

「なぜ失敗するのか」という理由をいくつも提示されました。

「考え直せ!」

そして長いお話のあと、私に向けて感情的に言い放ちました。

「英語が話せるようになりたいからでは、絶対にアメリカの大学なんて卒業できない!」

私はその言葉に引っかかってしまいました。

「アメリカの大学を卒業できないと失敗なの?」

人それぞれの「ものの見方」

「卒業できない」=「失敗」という先生の考え。

それに対して異議は全くありません。

しかし、その定義をもとに「考え直せ」と説得されたことにモヤモヤしました。

確かに私の高校英語の成績をみて、「これじゃあどうしようもない」と思う気持ちも分かります。笑

中学ではとっても良かったのですが、高校でがた落ち。

「この成績では難しいぞ。これからもっと努力しないとな」

「アメリカ大学に留学するにはどうしたらよいか、それをまず考えないとな」

これは勝手な理想ですが…

「そういう言葉くれないの?泣」と思いました。

先生と私の関係

信頼している先生から言われた言葉なら、響いていたかもしれません。

しかし、「この先生」に言われたことがとても恥ずかしかったのです。

先生がブツブツと話す中、私の心は決まっていました。

「絶対に失敗しないことを証明する!」

駅までの帰り道

母に伝えました。

「アメリカの大学を目指したい」

そして母と静かに歩く道のりで、なんとなく描いた「アメリカ大学への留学」という夢が、私の中で絶対的なものへと変わるのを感じました。

「絶対にアメリカ大学を卒業する」

失敗なんてない

「挑戦するかぎり失敗はない」

そうずっと思ってきました。

それゆえ、先生が「絶対失敗する」とおっしゃったときも「留学の失敗って何だろう?」と考えました。

考えて、考えて、やっぱり「卒業できない」ことを「失敗」と決めつけることには違和感がありました。

「失敗」や「成功」の定義は人それぞれ。

「成功の形は1つではない」と思うのです。

それに、「挑戦する前から失敗するから考え直せなんて、なんて悲しいんだろう」

そんなことを思ったのです。

結果どうなった?

結果、私はアメリカ大学を卒業しました。

両親のサポートがあったからこそできた留学。

「両親の期待に応える」

そういう面では、「卒業した」ことで「失敗しなかった」という見方ができなくもないと思いました。

「先生はきっと親の立場からおっしゃられたのだな」

学び

アメリカ大学在学中いろいろな困難にぶつかりました。

「アメリカ大学でされた差別」

「アメリカ留学中の差別!?」

「アメリカ大学の常識」

さまざまな記事でも触れています。

困難にぶつかったときに「絶対に卒業する!」と心で誓った「先生への強い想い」をしばしば思い出しました。

もちろん私を奮い立たせものは、他にもいろいろありますが…

「ここで踏ん張れなかったら、先生の言った通りになってしまう」

それが悔しく、「そんな風にはなりたくない!」と思ったものです。

どんな意図でおっしゃったにしても、先生の言葉のおかげで私の夢は現実味をおびました。

そして「先生のおっしゃった通りにはなりたくない」という強い気持ちが、留学中に踏ん張れる要素の1つになったのも事実です。

「そうなりたい/なりたくない」

どちらもチャレンジするエネルギーに変えられると思います。

あとは、全て自分次第です。

アメリカ大学の常識「逆らうとどうなる?」

アメリカ大学で留学生にはルールがあります。

1学期に必ず「12単位以上とる」ということ。

次学期の授業4クラス(ぎりぎり12単位)の登録を済ませ、夏を楽しんでいた私。

そんなときに起きた悲劇。

意図的にするつもりはなかったものの、そんな状況に…

みなが思う「常識」と、逆の行動をとるしかありませんでした。。

結果はどうなる?

悲惨な状況を救ったのは「常識」では考えられない行動。

「ありえないこと」が、常識はずれな行動を取ったときに起こったという体験談です。

春学期終了

4か月で終わるアメリカ大学の1学期。

春学期が終わり、長い夏休みに突入!

アメリカ大学の夏休みは長く、2か月くらいあったと思います。

休みが始まる前に、次学期の授業登録を済ませるのがいつもの流れでした。

授業登録完了

授業はすべてコンピューターで登録。

人気のクラスはすぐに定員になってしまうので、登録がはじまったらすぐに席を確保します。

留学コストが最小限に収まるよう、2年での最短卒業(編入学での最短)を目指していた私。

私の専攻は、「A2というクラスは、前学期にA1をパスせねばならない」

そんな条件のクラスが多かったので、卒業までのスケジュールを慎重に立てていました。

授業登録が開始され、希望のクラスすべての登録が無事完了!

日本にできるだけ長く滞在

「とにかく4か月間がんばれば、日本に一時帰国できる!」

これが大きなモチベーションの1つだった当時の私。

授業登録の翌日には、そそくさと日本へ。

大学のことは忘れ、たくさんのパワーを日本で吸い込む。

そのパワーが、アメリカ大学での私を大きく支えていました

驚かれるかもしれませんが、アメリカへの帰国日は「授業が始まる前日」笑

アメリカへ出発前日の夜

「念のため、秋学期にとる授業を確認しておこう」

そう思い、日本でパソコンを開き、大学の自分のアカウントへ。

「私の授業登録状況…」

『登録クラス「ゼロ」』

「ん!?」

心臓の鼓動が早くなりました。

「落ち着け、落ち着け、登録したんだから」

深呼吸をして、「確認はこのページじゃないのかも」

色んなページを開いて、数分経ってまた「授業登録状況のページへ」

『登録クラス「ゼロ」』

信じがたい現実が急に現実味をおびて、一瞬頭の中が真っ白に。

目を閉じて冷静に考え、念のため大学からメールでもきていないか確認。

「メールもなにもきていない…」

心臓がバクバクして、なんだか気分が悪くなりました。

「システムトラブルとかなのかも!!汗」

「単位を戻してもらうよう明日オフィスに頼もう」

最悪な気分で再渡米

いつもならシクシク泣く空港の出発ゲート。

この時は「とにかく大学に行って確認しないと」とソワソワ。

心ここにあらずという、なんとも不安な出発をしました。

永遠にも感じるフライト

昨夜も心配でろくに眠れず。

飛行機の中でも一睡もできず。

目はがちがちに開いて、頭の中で「家についたら、荷物を置いて、ファイルを持って、自転車でダッシュで大学へ…」

そんなシュミレーションを繰り返していました。

乗り換えトラブル

長いフライトを終え、さらに乗り換え。

じっと座っていられず、そわそわ次のフライトをゲートで待っていました。

しかし30分前になっても搭乗がはじまらない。

カウンターにはだれもいない。

心配になり係の人を探し聞くことに。

「ゲートが変わったってアナウンス聞こえなかったの?」

なんで、よりによってこんな時に…

単位は消えるし、自分の低い英語力のせいでアナウンスは聞き取れないし…なんだか、どよーんとしてしまいました。笑

着陸

ホストファミリーのママが車でお迎えに来てくれました。

お家について、急いでファイルを手にとりました。

ママに車を頼めばよかったのですが、大学で待たせると悪いと思い自転車で!

立ちこぎのままでダッシュしました。

でも途中で疲れて、ぜーぜーしているときに思いました。

「あぁやっぱりママに頼めばよかった」

なんだか、さらに情けない気持ちになりました。

オフィスの建物に到着

自転車をすごい勢いでロックし、階段をあがりオフィスへ。

なんとか間に合いました!

オフィスの人に事情を説明すると、シンプルでショッキングな返答が!

「消えた単位は戻せない」

原因がなんなのかもわからない。

「登録されたこと、しっかり確認した?」

「授業料はちゃんと振り込んだ?」

もちろん、どちらもしっかりやりました!

うそでしょ…システムトラブルとかじゃないの!?

「なんだか、そんな風に言われると自分のせいとも思えてくる…」

オフィスの人がいいました「もう一度登録しなおすか、もし定員ならウォークインするしかないよ」

原因が私でもシステムトラブルでも、どうにもならないなら、「やるべきことをやるしかないんだ」と自分に言い聞かせました。

時差ボケもありヘトヘト

すり減ったパワーを絞り出し、コンピューターのある家まで急いで帰りました。

「もしかしたら、席がまだ残っているクラスがあるかもしれない」

しかし!

淡い期待もバサッと切り捨てられました。

「希望していた4つのクラス全て、定員オーバーで締め切り」

ショックのあまり、スクリーンを見つめたまま数分動けませんでした。

「もうウォークインしか方法がない」

「ウォークイン」というのは、席がない状態で授業に参加してみること。

希望しているクラスがパソコン上では「定員」でも、もしかしたらクラス初日に現れない人がいるかもしれない。

もしかしたら初日のクラスのあとに、「やっぱりやめた」とキャンセルする人がでるかもしれない。

そんな期待をしつつ、とにかくクラスに行ってみることを言います。

「専攻や人気クラスでのウォークインは難しい」という話は、何度も聞いていました。

「あきらめた方がいい」「あきらめた」という話も聞きました。

「ウォークインは、ほぼ無理」というのが、なんとなく常識的な考えでした。

自分にがっかり

長いフライトのあとの、自転車で片道30分の往復。

体力的にも精神的にもヘトヘト。

でも授業は明日から。

「ギリギリに帰ってきた罰なのか」

「早く授業登録状況をチェックをしなかった私のせいなのか」

でも、「今日オフィスが開いててよかった」

「とにかく寝よう」

決戦の日

「やれることをやってみるしかない」

全クラス「ウォークイン」という、私の中での戦いがはじまりました。

そして結果からお伝えしますと、すべてのクラスで「ウォークイン失敗」

「キャンセルなし」

「決戦の日」の様子

とある専攻のクラス。

教授が出席をとったあと、「呼ばれてない人いる?」

恥ずかしかったので、そっと手をあげると「名前は?」

「定員で授業登録できなかったんです」

授業のあとに教授のもとに行くよう指示され、行くことに…

「いまのところキャンセルもないから、空きはないよ」

他の専攻のクラス。

授業前に教授がクラスにいたので、事情を話してみることに。

「うーん、かなり厳しいよ」

「空きがでたら入れるように、キャンセル待ちとして扱ってもらえませんか?」

「でも登録できるって保証はできないよ」

「それでもいいです」

いや、良くはないんです。

でも、今学期の3クラスをパスせずにとれる、他の専攻クラスがありませんでした。

この3クラスがとれなければ、12単位も専攻と関係のないクラスを取らねばならない。

そんな余裕はありませんでした。

2回目のクラス

実は、この前に専攻以外の1クラスで席を確保しました!

1回目全てのクラスにいった後、希望していたクラスはあきらめ、「とりあえず1クラスだけでも」とまだ空きのあったクラスに登録!

あとは専攻の3クラスのみ。

名前の呼ばれない出席とりでは、「呼ばれていない人」という質問もされなくなりました。

「教授も私の扱いに困っているみたい」

「3回目のクラスでもキャンセルがでなかったら、他の策を考えるしかないのかな」

3回目のクラス

なんと!

すべての3クラスで、席を確保してもらうことができたのです!!

信じられないことです!

3つ中2つのクラスで、授業のあと教授に呼ばれました。

もう1つのクラスでは、授業のあと私から教授とお話をさせてもらいました。

そして、なんと、クラスに参加する許可を得たのです!

「奇跡が起きた」と思いました。笑

もううれしすぎて、ビックリしすぎて、キャンセルがでたのか?どうなったのか聞くのを忘れてしまいました。笑

なぜクラスに参加できたのかは分かりませんが、予定通り登録できました!!

教訓

アメリカ大学留学中、いろいろな予期せぬことが起こるかと思います。

そんな時に役に立つのは「情報」

しかし、どれを信じて良いのか分からなくなるほど、いろいろな情報がたくさん耳に入ってきます。

「みんながそう言っていたから」「誰かがそういう経験をしたから」

そうして決断してしまうこともあるかと思います。

しかし、「みんなに起こることが自分に起こる」とは限りません。

それは良い意味でも悪い意味でも。

留学中は、「人から聞いた話を鵜呑みにするまえに、自分で確認する」ということをモットーにしていました。

聞いた話は、いつの情報かも分かりません。

「友達が言っていたから、こうしたのに」なんて後悔もしたくありません。

同じ状況、または似た状況にいる人でも、経験は個々に異なってきます。

「ウォークインできた/できなかった」

そう聞いたとしても「自分もできる/できない」かは、やってみないとわかりません。

「ウォークインは難しい」というのは、「アメリカ大学での常識」のように扱われていたので、ただ運が良かっただけとも思います。笑

でも常識に流されていたら運にも出会えなかったので、結果オーライです。

補足ストーリー

留学中のありえない悲劇も、良い意味で「常識に逆らう」ことで個人的に救われることが多かったです。

こんなミスをするのは私くらいかとも思い、お恥ずかしいですが…

アメリカ大学の期末テストを受け忘れたことがあります。

期末の時間にいつもの教室に行ったら、見慣れないクラスメイトばかりが座っていました。

数分キョロキョロしていましたが、不安になり、近くに座っていた子に聞いてみると…

「これはそのクラスじゃないよ」

すると、後ろに座っていた方が「そのクラスは、たぶんこの時間の前にテスト終わってるよ」

なんとかせねば!

急いで図書館に行き、教授のオフィスを検索しました。

念のため電話番号もメモして。

自転車を立ちこぎでオフィスのあるビルへ行き、教授の部屋をノック!!

「応答がない」

留学中は携帯電話を持っていなかったので、持ち合わせのコインで公衆電話から教授に電話。

「誰もでない…」

メッセージを残し、茫然としました。

「教授はもうご帰宅されたのかもしれない…」

もう一度オフィスに行きましたが、応答なし。

どうすることもできず、自宅に戻りました。

クラス概要には…

クラス概要をみたら、期末の時間だけ通常よりも早い時間になっていました。

「チェックしなかったなんて、本当に情けない」

しかも「中間、期末を1度でも受けなかった者は、理由にかかわらず単位はあげられない」とかいてありました。

「あぁ、こうに書いてあるのに、すでにメッセージを残しちゃった…非常識なことをしてしまった」

どうしたら良いのか分からず、救いを求め「大学のホームページ」へ。

自分のアカウントを何気なく開くと、教授からメッセージが!!!

「今日〇時から〇時までオフィスにいます。都合が良ければ来てください」

時計をみてすぐダッシュで、教授のもとへ向かいました。

教授に会い、まっすぐ私を見つめる目をみて恥ずかしくなった私は、「クラス概要をしっかり確認せず、時間を間違えてしまったこと」を心から謝りました。

すると、「テストの準備はできてる?」

そう教授がおっしゃり、教授のオフィスでテストを受けさせてくださりました。

優しい教授は私に多くを聞かず、テスト後一言だけおっしゃいました。

「これからは気をつけるんだよ」